私が委員長も務めたことのある民族派学生団体「日本学生同盟」が誕生したのは昭和四〇年代初めの早稲田大学における大学紛争が契機であった。当時大学では共産党=民青や革マル派など左翼諸党派が勢力を拡大して大学は彼らの餌食になっているかの感があった。その中で左翼の暴力支配に抵抗し、大学を正常化させようと声をあげたのが良識派学生集団であり、やがて日本学生同盟の母体となったのである。

 その良識派学生集団の一員が当時早大生であった鈴木邦男さんであり、日本学生同盟の初代委員長となった斎藤英俊氏らとも連携して懸命の活動を展開された。当時慶応大の学生であり、やがて日本学生同盟に加わることになった私にとっても鈴木さんは憧れのスターであった。その後鈴木さんは生長の家系の民族派学生集団、全国学協のリーダーとなられたが、その内部紛争で全国学協を追われることになった。しかし元来憂国の情熱に燃えていた鈴木さんはやがて従来の既成右翼組織にかかわらない新しい団体を立ち上げられた。それが後の民族派組織「一水会」であり、木村三浩氏など新しく有為の人材を鋭意育成・輩出していった。それは鈴木さんの大きな功績である。

 私どもの日本学生同盟も鈴木さんから大変な刺激を受け、やがて三島由紀夫先生の事件を通じて三島由紀夫研究会として発展してゆき、現在に至っている。

 生前の鈴木邦男さんとよく民族派運動の過去と現在、将来を話し合ったのは今から思えば大変懐かしい思い出である。あらためてご冥福をお祈りする。合掌。