以前、運動の先輩からこう言われた事がある。
「俺は最近の鈴木さんが書く本は嫌いだが、昔の鈴木さんの本は本物だった。『腹腹時計と〈狼〉』もいいが、読むなら『証言・昭和維新運動』だ」
鈴木邦男さんの訃報を聞いて、その言葉を思い出した。
鈴木さんの本は『愛国者は信用できるか』、『天皇陛下の味方です』等は読んだ事はあったか、昔の本は読んだ事がなかった。
インターネット上では『腹腹時計〜』は一万二千円以上のプレミア価格となっていた。「鈴木邦男ブーム」となっている感があるが、私は改めて、『証言・昭和維新運動』に注目したい。
老壮会、血盟団、神兵隊、五・一五事件、二・二六事件など…、戦前の「維新運動」の当事者に鈴木さんがインタビューし、対談記事なども合わせて纏めたのが『証言・昭和維新運動』である。
昭和五十二年に刊行されたが、平成二十七年になり『BEKIRAの淵から〜』と改題されて皓星社より復刊された。
昭和維新運動は所謂「下級将校の暴走」「皇道派・統制派による勢力争いの中での暴発」というイメージで語られる事が多い。
だが当事者たちが語ることは、そうしたものとはかけ離れている。
例えば一水会が目指している老壮会は、同人・島野三郎氏曰く、「左右、中道を問わず、いろいろな意見を交換し、互いに知識の交換をやろうというんだな。右も左も問わない。年齢の制限もない。老いも若きも、ともに語ろうということで老壮会とつけたんだよ」とある。
また、血盟団の参加者であり、井上準之助蔵相を暗殺した、小沼広晃(正)氏はこう語っている。
「かつてより、今の方が時代は悪いですよ。しかし、それにもかかわらず、何故、われわれの頃の様な運動ができないのか。それは、はっきり言って、今の人が現体制を否定しきっていないからですよ。われわれの時は完全に否定した。いわゆる自己否定から始まった。ただ体制だけを倒すと言っても自己否定にまで到らなければ何にもならない」
鈴木さんは、復刻版の「はじめに」でこう述べていた。「はっきり言おう。この時に会って聞いたこと、疑問に思ったこと、教えられたことが今の僕を作った。この後、四十年間の僕の運動・著作はすべて、この時の体験から生まれている。僕の原点だ」
鈴木さんの原点は、新右翼の原点と言える。
統一教会の問題を受け、日本の保守・右翼は今こそ存在意義を問われている時期である。今まで主張してきた主義思想は、カルトによって利用されていたのではないか。何の為の運動なのか。体制に利用されただけではないだろうか。
そして近年ますます進む米国の「属国化」。日本の「国体」とは何を指すのか。対米追従ありきの「保守」はあり得ないはずだろう。
同書に収録されている野村秋介氏と鈴木さんの対談、「反共右翼からの脱却」では、野村氏がこう述べている。
「右翼の大勢は『反共』という大義名分のもとに、安保支持に回ってしまった。さらにこの問題はその後ずっと今に至るまで反省されることなく続いてきた」
半世紀近くになるが、これは今でも通用する課題だ。体制に与する「民族派」はあり得ない。
戦前の右翼運動を継承するのが新右翼であるなら、『証言・昭和維新運動』はバイブルと言えるのではないだろうか。