鈴木邦男さんが逝ってしまった。残念と言うよりも悲しい。

 三十年も前に『朝まで生テレビ』で同席して以来、鈴木さんとは親しく交流させてもらった。

 鈴木さんに言われて何よりも「なるほど」と思ったことは、当時、日本の右翼と言われる人々は、反共・「親米」・大日本帝国回帰という主張の自己矛盾を「矛盾」と感じていないことであった。

 右翼が「反共」であることは分かり易いが、彼らが日本の本来の姿だと主張している「大日本帝国」を叩き潰した米国に従順なところが不思議であった。

 その点で、「反米」というよりも『対米自立(自律)』を主張する「新」右翼・一水会は分かり易い。

 もう一つ、鈴木さんの長所は、「寛容」である。

 日本では、右翼・左翼に関わらず、自分と意見の異なる者に対しては、即座に拒絶反応を示して、話し合いが成立しない場合がほとんどである。そういう意味で、日本人は一様に「議論」が下手である。
しかし、鈴木さんは、自分と意見の異なる人々も、まず「受け容れ」てしまう。だから、結果的に合意に達すると否とにかかわらず、そこでは議論が成立する。

 そのせいか、鈴木さんと木村三浩君が率いて来た一水会は、いわゆる民族派団体の中で唯一、広い世間で市民権を認められた存在のように見える。

 現実に、鈴木さんが生んで木村君が守り育てた一水会は、わが国の論壇において貴重な存在になっている。つまり、無意味な垣根を超えた論争を惹起する潤滑油のような役割を果たしている。

 これからは木村君が一人で率いる一水会は、鈴木さんが残した素晴らしい伝統を活かして日本と世界に貢献し続けてほしい。それが、一水会の生みの親・鈴木さんに対する最良のはなむけであろう。

 個人的には、鈴木さんとは、氏が主宰する勉強会に私が発題に行ったことも、私が管理する企画で大学に講演に来てもらったこともあり、毎回、知的で刺激的な交流ができた。その後の飲み会もまた楽しかった。

 鈴木さんが病を得てからはそれもなくなってしまったが、「病は治るもの」と楽天的に考えていた私は、訃報に接して、お互いの年齢を思い知らされた。

 しかし、今回、鈴木さんは病の苦痛から解放された訳で、それはご本人にとって良かったとも思う。
あの世があると信ずる私は、鈴木さんは今頃、天国で、お気に入りの女性を同席させて楽しげに酒を飲んでいると思う。いずれ、私もその席に参加させてもらうつもりである。