令和五年、日本丸の「進路」を糺す時!
―「岸田船長」では前途多難!即時辞任せよ!

日本を支えてきた「和」

 『レコンキスタ』読者の皆様、昨年、令和四年は大変お世話になりました。
 
 昨年を振り返ってみると、新型コロナ・オミクロン株の感染拡大に始まり、二月にはロシア軍のウクライナ侵攻がありました。

 国際情勢は一層緊迫化し、輸入に頼る日本は値上げラッシュに襲われ、国民生活は危機に瀕する事になりました。

 中国の海洋進出、北朝鮮のミサイル危機も我が国にとっては脅威となりました。

 七月には安倍晋三氏が、参議院選挙の最中に射殺される悲劇が起こりました。

 総理経験者が白昼堂々と殺されるなど、先進国である日本ではあり得ない事件ですが、もっと異常なのは犯人が本来標的としていた宗教団体、統一教会がクローズアップされ、マスコミが批判的に報道をした事です。

 これについては昨年、何度も指摘しましたが、統一教会は自民党の支持層の一つに過ぎません。それを「政治を裏で牛耳っている」かの様に拡大解釈し、「政治と宗教の関わり」として糾弾するのはあまりにも本末転倒としか言いようがありません。

 昨年末に成立した「被害者救済法」も問題ありです。「カルト宗教の霊感商法に騙された被害者を救済しなくてはならない」という事で急遽成立した法律ですが、「宗教」で「騙された」はないでしょう。

 宗教とは本来、個人の信仰の問題です。自身が神や仏へ信仰の心を捧げ、お金を「寄進」する。この行為は信者自身から表れたのではないでしょうか?

 仮に宗教団体の行動を規制するのであれば、新興宗教だけでなく伝統宗教も縛られる事になるでしょう。寺院に檀家が、または神社に氏子が寄進する事も法で縛る様になっては、寺社は運営できなくなります。

 日本の社会を古くから維持して来たものとは、こうした伝統宗教を中心とした「地縁」でした。

 江戸時代では庶民の生活は「向こう三軒両隣」と言われ、長屋で暮らしていた庶民は皆助け合って生きていました。

 同じ長屋に暮らしていた住民が作ったのが「組合」です。これが大きくなると「最寄り会」、そして「町内会」。規模が大きくなると「市町村」。

 これが地縁社会であり、檀家や氏子として寺社を維持してきました。「和」の伝統とも言います。

 これに古代より連綿と続く皇室が存在し、日本を形作って来たと言えます。その結びつきが宗教でしたが、今回の「救済法」成立でその伝統が崩されてしまうのではないかと懸念しています。

 今回の事件の重要な点は、第一に安倍元総理が選挙の応援演説をしている最中に凶弾に倒れたことです。そもそも最大の被害者は、安倍元総理であり、その家族なのです。ところが、今回のマスコミの報道は、その犯人が統一教会を恨んで、この行為に及んだことで、安倍元総理にお悔やみのかけらすらなく、ひたすら統一教会の霊感商法により、被害を受けたとされる家族の救済をする法案を通せと連日連夜騒ぎ立てたのです。これはまさに、与党また多くの国民に対するマスコミの国家転覆の挑戦状です。
 
 この選挙で与党は大勝し、衆参ともに三分の二以上の議席を獲得し、憲法改正への条件が揃いました。しかし、憲法改正に反対する左翼集団の輩の戦術にものの見事に踊らされ、新しい法案が出来、その結果被害者に対しての救済を、国がするというバカげた法案が出来上がりました。ちなみにこの検討委員会のメンバーは、左翼代表の紀藤弁護士や、それらの類の人たちで構成されていました。

 国が保証するという事は、国民一人一人がその負担をするということです。この様なバカげた法案を通すために、我々日本民族の存亡に関わる憲法改正に、一切手をかけることが出来なかったのです。

「コロナ鎖国」は今年も続く?

 年末には新型コロナの感染拡大、第八波となりましたが、もはやこのコロナ禍、はたしていつまで続けるのでしょうか?

 以前にも言いましたが、世界は既に「脱コロナ」の方向に進んでいます。欧州諸国でも米国でも、マスクをつけて外を歩く人はいません。出入国でもワクチン接種証明や陰性証明を求められる事はありません。

 日本だけが「コロナ鎖国」をずっと続けています。感染者や死者数が増える度にマスコミは騒ぎ、政府批判の材料にする…。これではいつまでもコロナ禍は続く。

 「コロナの感染が原因での死者」というのは、死因がはっきりしていないから、とりあえず「感染による死亡」として見なしてしまっている事情があります。

 例えば既往症を持つ人は、コロナ感染後、症状が悪化して死亡しても「コロナによる死亡」の数に加えてしまいがちです。実際には既往症が原因ですが、そういう個人的事情は報じられません。結果だけが独り歩きし、「感染拡大」となってしまう…以前から指摘していますが、これこそマスコミの報道に原因があります。悪意に満ちています。

 最近ではワクチンの「薬害」も報じられ、ワクチン接種を忌避する「反ワクチン」も問題視されています。

 「ワクチンを打ったのに死者が増えるのはおかしい。何の効果もないじゃないか!」という指摘もありますが、ワクチンを接種したからと言って、感染しない訳ではない。感染しても症状の悪化を防ぐのがワクチンの役目です。

 健康を保つには自分から感染対策をしっかり、抗体を保つ事です。医療従事者は皆、ワクチンを打って感染対策をしっかりとしています。ワクチンで死亡者が出るような事があれば、真っ先に医療は崩壊しています。そんなことが起こっていますか?

 ワクチンへの不信感が生じてしまうのは、国産でないからという面もあります。コロナ禍では結局、日本は治療薬もワクチンも自国で作る事はできませんでした。

 しかし、ここで国産のワクチン・治療薬が認可されました。何故このように認可が遅くなったのでしょうか。アメリカからファイザーとモデルナ以外は認めるなという外圧があったので、厚労省の薬事委員会は、なかなか国産を認可しなかったのではないかと疑われます。

 医療面に関しては自国の製品が一番信頼できます。

顔を見せない交流—SNS社会における人間の劣化

 三年近くも続くコロナ禍においてすっかり「定着」してしまったのは「オンライン」「テレワーク」です。通信技術の発達で遠隔からでも人と交流ができるのが醍醐味ですが、ある意味、人間を堕落させたのも「オンライン」と言えます。

 コロナ禍以前から、見知らぬ相手とも交流する事ができる…SNSを使ったネットワークが拡大されて来ました。

 フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ユーチューブ等のツールは日本社会でも大変発展し、今や小学生までもが利用して「ユーチューバー」として注目されていますが。しかし相手と交流せず、インターネット越しに誹謗中傷の言葉を浴びせることが、「議論」だと称する勘違いの輩が散見されます。

 人間はやはり相手と面と向かって目を見、顔を見て会話をすることにより、体全体で雰囲気を感じ、コミュニケーションを図る事が出来るのです。

 前述した「向こう三軒両隣」も、長屋という狭い空間で、相手と接する事ができるから成立しています。

 本を読む事もせず、SNSで知り得た知識を「本物」だと思い込み、拙い陰謀論を吹聴する輩も増えて来ました。

 前述の「反ワクチン」もそうです。本来なら、学識のある専門家が否定すれば、そんな陰謀論など雲散霧消してしまうはずですが、専門家でもないただの素人が論客気取りで真っ向から否定、嘲笑する事例もあります。

 困った事に、そういう人の方が専門家より持て囃され、陰謀論の「信者」に崇められます。

 単に相手を否定する為に悪口雑言をぶつけ、一方的に黙らせてしまうのを「論破」と呼び、困った事に今やテレビでは新たな時代の論客として見なされている。これもオンライン時代の「弊害」と言えます。

 本来、一対一で、相反する自論を互いに交わし、批判するべきものは批判する。—これが「議論」と呼ばれるものでしょう。SNS上で悪口をぶつけ合う行為は議論とは呼びません。

 人間はスマホやパソコンといった、SNSのツールを捨て、外へ出て大いに議論すべきです。それが本来の健康な人間です。

「忠犬ポチ」・岸田総理が約束した防衛費「増額」

 年末、岸田内閣が決定した「防衛費増額」にも触れなければなりません。

 日本の防衛費は長年、「専守防衛」の方針の下、抑えられて来ました。現行の中期防衛力整備計画では、五年総額で二十七兆四千七百億円。しかし岸田内閣は本年(令和五年)度からの五年間で七兆円を増額する方針を打ち出しました。

 今や日本の安全保障は、専守防衛だけでは守り切れません。敵基地攻撃能力の追加も含め、専守防衛の方針から早く脱却し、「戦えない国」から「戦える国」に変わるべきです。

 その意味では、私も防衛費増額とその為の「増税」も賛成です。

 かといって、別に岸田総理は突然愛国心に目覚めた訳ではないのです。昨年五月の日米首脳会談で、バイデン米大統領が防衛費増額を要求し、岸田総理はこれに応じて「増額」を決定しました。昨年十一月にカンボジアで行われた日米首脳会談では、二〇二七(令和九)年を目途にトマホーク巡航ミサイル五〇〇発の購入交渉の進展が確認されました。

 つまり、日本の安全保障政策は全て、お馴染みの「米国兵器爆買い」の路線で突き進んできたのです。

 トマホークは三十年前の湾岸戦争で実戦デビューし、今では「中古品」と言えます。北朝鮮や中国のミサイルに対抗できるかは甚だ疑問です。

 米国が兵器を売りつけるてくる時、彼らの「真意」を読み取る事は重要です。これは過去の連載で私と鼎談した元航空幕僚長、田母神俊雄氏が指摘していました。

 田母神氏は米国との兵器購入交渉に何度も携わり、連中に騙されない様に注意していた様ですが、岸田内閣の場合は警戒心ゼロです。

 バイデン氏に気に入られたいが為に言い値で購入を決定。その財源はないのに「防衛費は増額します!」と、まるで忠犬ポチの様に尻尾を振るだけです。

 しかし問題は、その財源の捻出の仕方です。

 さらに問題なのは、増額する防衛費により、毎年一兆円規模での財源不足が見込まれますが、岸田総理は増税での穴埋めを検討してます。

 本年度の増税は決定されていませんが、法人税・所得税・たばこ税等の増税が検討されています。

 「取れる所からは全部取っておこう」という、身も蓋もない増税となっています。これまでは「財源がない」を言い訳に、政府は様々な提案を葬って来ました。国債発行に関しても「財政を破綻させる」と反対していましたが…「米国」が絡むと財源がなくても関係ないようです。

 増税は既定路線であり、岸田総理は絶対に「実施する」と強調しました。普段は「検討使」でしかないのに、「ご主人様」の言う事には忠実です。最も泣きを見るのは国民ですが…。

 私としては、目的が定まっている税金であれば、「防衛税」という名目で新設しても良いかと思っています。

 しかし我が国の目的税が、その「目的」通り集められたかと思うと疑問です。

 消費税も法律的には「国民が広く受益する社会保障に係る費用をあらゆる世代が公平に分かち合う」目的で導入されましたが、社会福祉の為に使われているよりは、法人税減税の穴埋めとして使われています。

 政府予算ですら、その使い道に疑問点があります。新型コロナの対策費では、第一波が発生した令和二年度には空前の七十七兆円が計上されましたが、果たしてこれは何に使われたのか。感染対策と言いながら、治療薬もワクチンも開発できませんでした。

 国家機密の観点もあり、全面開示とは行きませんが、政府の予算は透明化すべきでしょう。これではいくら岸田総理が「国民にお願いする」と説いても、納税者は納得しないでしょう。

 今一度、岸田総理が果たして信頼できる人物であるか、検証すべきです。

 本来総理になるべき人物は人格、識見、洞察力に優れているはずです。岸田氏にはそのどれもが全く感じられないばかりか、国の方向をおかしな方へ導くばかりです。彼が「船長」である以上、「日本丸」の前途は多難です。一日でも早い退陣を望みます!

教育力の向上—日本語・道徳教育の復権を!

 さて最後に、日本が採るべき道に関して数点、指摘しておきます。

 防衛力強化は必須の課題ですが、もう一つは教育力の強化です。医療であれ、軍事であれ、日本の技術力は世界一であったはずです。国産の兵器にせよ、治療薬やワクチンにせよ、ちゃんと研究機関に予算を投じていれば今日の様な事態にはならなかったでしょう。

 日本の教育分野における予算は諸外国と比べても最低ランクであり、研究者が外国へ流出してしまうケースが多いですが、やはり教育は「国の基本」。研究費はふんだんに出すべきです。

 半導体もかつては日本がリードする先端技術産業でしたが、今や韓国や台湾にも遅れを取っています。国はバックアップするべきです。

 南鳥島沖には、半導体等の先端技術で使われるレアアースの宝庫が眠っていると言われています。これも直ちに日本の資源として、発掘すべきです。

 日本の経済力の復活は、自国の兵器・自国の資源発掘・自国の農作物・自国のIT等々、すべての物と事をメイドインジャパンにし、日本国復活に向け直ちに実践・実行すべきでしょう。

 今こそ、コロナ禍・ウクライナ戦争による物価高騰を奇貨として無一物の原点に立ち返り、自ら以て範となし襟を正し、艱難の世を邁進すべきです。

 現代の教育分野では、英語やITが教えられていますが、これが日本の教育に相応しいでしょうか?

 日本の学校ではやはり「日本語」を教えなくてはなりません。十七条の憲法、孔子の『論語』等、古典からの教養は勿論、道徳の学習も必須です。

 現代社会は「今だけカネだけ自分だけ」の思想があまりにも横行しています。こういう世を糺す為にも、道徳を学ぶことは必須と言えます。

 本年も昨年に続き、激動の年になるかと思われますが、日本国を次世代の子供達に繋げる為、今年も「苦言・直言」を述べて行こうと思っております。皆様、今年もよろしくお願い致します。

岸田総理に物申す

 あなたは、総理としての資格は皆無である。総理たる者は、有言実行、他の意見に耳を貸し、一つの法案を作るにも、丁寧なる説明と根回しを旨とすべきである。マスコミ・アメリカの言いなりになるのではなく、自ら以て国民の繁栄と平和を構築すべく行動を起こすべきであるが、なんらこれらの行為に該当すべきものは、なされてない。

 まさに、総理・総裁として失格である。きたるべく統一地方選挙は、戦えない。即、辞任せよ。 

小山博史