「太郎の為です」
本来なら中断していた「新・民族派経済学の探求」を再開しなければならないところなのだが、その前にどうしても一件、触れておきたい事件があるので申し訳ないがもう一月だけご容赦いただきたい。
「最近の二〇年間では最高傑作!(ただし合戦シーンは除く)」と絶賛された(それこそNHKをスクランブル化しても、視聴者が減る心配など一切しなくても良いくらいにw)昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』だが、そのラストシーン近く、死を目前にした主人公・北条義時に、こんな印象的なセリフがあった。
「この世の怒りと呪いを全て抱えて私は地獄へ持っていく」
「太郎(泰時)の為です」
「私の名が穢れる分だけ北条泰時の名が輝く」
かつて仲間だった御家人達を次々と粛清し、ついには上皇をも島流しにした世紀の大悪人の、これが本音(ドラマの中では)であり、この父による地均しがあったればこそ、社会学者の大澤真幸が「日本史上、ただ一人の成功した革命家!」とまで激賞する(『日本史のなぞ』朝日新書刊)天下の名執権・北条泰時が善政を為し得たというのがこの物語の見立てである。
実はこの種の話は、世界の歴史では特に珍しくもない。かの明の太祖・朱元璋も、そのあまりに残酷な功臣粛清のやり方に苦言を呈した皇太子に「俺は天下の棘を全部抜き取ってからお前に譲ってやろうとしているんだ!」と一喝したという話が伝わっている。
平和のため、天下国家のため、民百姓の幸せのため……古今東西の英雄たちが、こうした様々な大義のために、自らは地獄に堕ちる覚悟で心ならずも手を汚さざるを得ない。この混濁の世においては避けて通れぬ不条理であり、およそ志ある政治家や軍人、官僚(現代では経営者も)が、必ず胸に留めて置かねばならない、それは心得であろう。
しかし、ここで一つ指摘しておかねばならないことがある。
こうした覚悟が必要なのは、何も政治家や軍人、官僚、経営者だけではない。
「俺様はエリートだ!」という自覚のある社会の他の指導者層(例えばマスコミ、学者、弁護士、芸術家等)も同じではないか、ということをである。
以前「沖縄密約事件(または外務省機密漏洩事件)」の当事者として知られる元毎日新聞政治部記者の西山太吉が死んだとき、その追悼特集を組んだ『週刊金曜日』誌上で、あの佐高信が「真のジャーナリストで、死後に自分が天国に行けると思ってる奴などいない!(大意)」と喝破したことがあった。
確かに、かの西山記者にしても、機密情報を手に入れた経緯はよく知られているように一種のハニートラップであり、道徳的には到底褒められたものではない。それでもなお西山記者を顕彰するのは「手を汚さずして、ジャーナリストが権力悪と戦えるか!」という彼らなりの矜持なのであろう。
学者は手を汚さない? アホ言え!
翻って、学者連中の覚悟はどうか。
昨年一一月二九日、都立大学の構内で何者かに襲撃され重傷を負った社会学者の宮台真司が一二月七日、退院と仕事復帰の報告をYou Tubeに上げた。
何はともあれ命を取り留めたこと、またこれだけの惨事を受けてなお宮台に怯んだ様子が無いことは素直に慶賀すべきであろう。また一日も早く犯人に捕まって欲しいという思いは、正真正銘私の本心でもある。
だがこの映像を見てて一つ、引っ掛かった所がある。
宮台が弟子に調査させたところ、ツイッター上で今回の事件を「ザマミロw」と嘲笑っていた者が、アンチ全体の僅か一割しか無かったこと、またその一割を宮台が「クズ中のクズ」とこき下ろしていたことだ。
本当かそれ?
まぁツイッターと、普段私がよく見ている「5ちゃんねる」のまとめサイトとでは投稿者の性質が違うのかもしれないが、私の見る限り、今回の事件に関しては、さすがに「ザマミロw」と嘲笑する書込みこそあまり見かけなかったものの、「(犯人が悪いのは当然の前提とした上で)今回の事件は、あらゆる方面に罵詈雑言を吐きまくって敵を作り過ぎた宮台の自業自得であり、因果応報だ!」と冷たく突き放すものが最も多い印象だったからだ。
彼らは皆「クズ中のクズ」なのだろうか?
その言い分に「一理ある」と感じてしまった私も? こんなに宮台の著書を大量に読み、その影響を受けまくっている一人なのに?
宮台はよく「(自分が)きつい言葉を使う理由は(人々をワザと)不快にさせ(て、真理に気付かせ)るため」と言っている。
宮台の言論活動が、社会にとって有益なのは間違いない。何ならこの私自身が証人になってもいい。
だがどんなに世の為、人の為であろうと、罵詈雑言で人を傷つけ不快にさせる行為が「悪」なのもまた、揺るがしようのない真理である。政治家や軍人が「大義のため」あえて手を汚す行為と、それは同じなのだ。
その自覚がもし宮台に無かったのだとしたら。
庶民大衆からリスペクトされるべきインテリエリートwとして、それは余りにも覚悟が足りな過ぎると言わざるを得ないであろう。
最後に、前述した北条泰時が残し、江戸時代どころか現代民法にまでその痕跡を残しているという天下の名法典『御成敗式目』の、次の条文を紹介しておこう。
第十二条
一、悪口咎の事
右、闘殺の基は悪口より起る。その重き者は流罪に処せされ、その軽き者は召し籠めらるべきなり。問注の時悪口を吐けば、則ち論所を敵人に付けらるべし。また論所の事、その理無き者は、他の所領を没収せらるべし。もし所帯なき者は、流罪に処せられるべきなり。