NHKが報じた衝撃の捜査会議の録音音声

 今年一月、警察や報道の関係者に衝撃が走った。警視庁公安部の冤罪事件である「大川原化工機事件」について、NHKが一時間の特集番組で、警視庁内部の捜査の会議内容が録音された音声を報じたからだ。そこには、冤罪が作られていく過程の一端が記録されていた。録音の内容や、それをNHKが入手していたという事実が驚きだったのはもちろんだが、それ以上に、そもそもこうした音声が記録され、存在したこと自体に衝撃を受けた関係者は多かった。通常、音声が録音されることなどなく、密かに録られたものとみられるからだ。そして、密かに録音するということは、現場の捜査員が、この事件を摘発する前の段階から捜査に強い不信を抱いていたということでもある。大川原化工機事件は、警察の過失によって「うっかり」生まれた冤罪ではなく、悪意によって、意図的に無実の人が犯人に仕立て上げられた事案ではないか。そう疑わざるをえない報道であった。

 大川原化工機事件については、本紙でもこれまでにたびたび取り上げてきた。今一度、内容を振り返りたい。ことの発端は五年前の令和二年三月。警視庁公安部が横浜の化学機械メーカー「大川原化工機」の社長ら三人を外為法違反(無許可輸出)の疑いで逮捕した。三人はその後、起訴されたが、冤罪の疑いが浮上し翌令和三年七月に起訴が取り消された。ただし、三人のうちの一人、相嶋静夫さんは、勾留中に癌が見つかり、起訴が取り消される前に死亡している。

 起訴取り消しの二か月後、大川原化工機側は、警視庁や東京地検の捜査に違法性があるとして、国家賠償請求訴訟を提起した。一審は、大川原化工機側が全面的に勝訴。東京地裁は都と国に計約一億六千万円の賠償を命じた。その後、被告・原告ともに控訴し、二審が昨年一二月に結審した。この判決が今年五月二八日、東京高裁で言い渡される。

 捜査の音声内容が明るみに出た今年一月。冒頭に記したように、関係者には驚きが広がった。NHKの報道によるとこの音声には、「経産省をだまして令請(令状請求)にいく。大変なことですよ」「狂ってますよね」といった会話が記録されていた。警視庁の幹部が強引に事件を成立させようとする一方、現場の警部補らが、上司を説得して捜査を引き留めようとしていることがうかがえる。

 経産省という言葉が出てきたのは、今回適用した罪名である外為法を所管しているのが経産省だからだ。経産省が定める要件に該当する製品は輸出に規制がかかる。この要件に該当するか否か。警視庁が経産省を「騙し」て、該当することとし、逮捕するという趣旨の発言だと思われる。法律を所管する省庁であるにもかかわらず、規制に該当するか否かのきちんとした基準を持っていなかった経産省にも問題はあるが、警視庁はそこにつけこんだというわけだ。

 音声が記録された背景にはこうした捜査への不信感があったのではないだろうか。いずれ問題が明るみに出れば、組織はしらを切り、逃げるかもしれない。そうさせないようにするための証拠であり、実際に音声は報道機関に提供された。相当な勇気と覚悟が必要な行動である。まずは、心から敬意を表したい。

 この事態を受け、警察幹部はもどかしい思いをしたようだ。情報漏洩は地方公務員法違反にあたる行為だ。しかしながら内容の性格からして、内部告発や公益通報に該当する可能性も極めて高い。公益通報において、告発者探しはご法度とされている。昨年には、斉藤元彦・兵庫県知事をめぐる疑惑を告発した兵庫県の元局長が死亡する問題も起き、報道でも大きく取り上げられた。このため警察内では、内部通報の扱いにも敏感になっていた。加えて、昨年末の毎日新聞の連載も影響したとみられる。警視庁が令和五年に、捜査の違法性を指摘する公益通報を受けたにもかかわらず、それを放置していた可能性があるというスクープである。毎日新聞によると、匿名で公益通報した警察官に対し、身分を明かすよう執拗に迫っていたというのだ。これらの報道により、インターネット上を中心に、警察への批判や不信が渦巻く状況となった。このため、NHKの一月の報道後も警察幹部はネット動向を気にしていたものの、対応には慎重になっていたようだ。

警察は組織と国民のどっちを向いているのか?

 今回(NHK報道)の告発者にとって、兵庫の事案などの追い風があったとはいえ、「内部告発」という行為が勇気のある行動だったことは間違いない。表立って身元の調査はされないだろうが、録音の内容などから、身バレするリスクははらんでいる。それでも告発したのは正義感ゆえだろう。本紙は、警察組織がすべて悪だと主張するつもりは毛頭ない。むしろ現場の一線で働く警察官の多くは、こうした気概を持っているのだと信じたいし、ここに一縷の望みを感じる。

 また、この告発者と同一人物なのかは不明だが、同じNHKの特集のなかで「ある警察関係者」として紹介された人物が、個人として、亡くなった相嶋さんの墓参りに赴くシーンも映し出されている。「申し訳ありませんでした」と仏壇に手を合わせたこの人物は、取材に対し、「組織のために警察官やっているわけではない。大事なのはどっちかというのを取り違えないようにしたい」と述べた。この発言に、今回の事件の本質が凝縮されていると感じる。つまり、組織を向いて仕事をするのか、国民を向いて仕事をするのか、ということである。

 思い起こされるのは、歴史上の人物、大塩平八郎だ。大塩は、江戸時代末期、大坂(大阪)の町奉行所で働く「与力」だった。現在でいうところの警察官である。十手を持った幕府の役人といえばイメージが湧くだろうか。数々の事件を捜査・摘発する手腕と、決して賄賂を受け取らない清廉潔白さ、また、汚職を許さず厳しく取り締まる姿勢から、「大坂に大塩あり」と言われるほどだったという。職を辞してからは、かねてより学んでいた陽明学の研究に専念し、学者としても世間に知られていた人物だった。

 天保の大飢饉が発生すると、奉行所に対して民衆の救済を嘆願したが、受け入れられず、数万冊ともいわれる自らの蔵書を売却して民衆に分け与えた。飢えに苦しむ市井の人々が大勢いる一方、豪商と役人間で横行する不正に耐えられなくなった大塩は、幕府宛てに不正を告発する文書を送り、その直後に「救民」を掲げて決起した。乱は一日で鎮圧され、その後、自害したが、幕府の元役人で著名な陽明学者が起こした乱として、社会に与えた影響は大きかった。不正を憎み、自らの正義を貫いた大塩は、常に、民衆を見ていた。話を戻そう。そもそも、なぜ大川原化工機事件のような冤罪事件が起きてしまったのか。なぜ違法捜査までして事件化しなくてはならなかったのか。その背景にあったのは、大事なのはどっちなのかを取り違えてしまった、ということではないだろうか。

 国賠訴訟の一審で、証人尋問に出廷した公安部の現役の警部補は事件を「捏造」と証言した。なぜそのような捜査が行われたかについては、「個人的な捜査員の欲だ」「定年を視野に入ってくるとどこまで上にあがれるか考えたということ」とも証言した。実際に、捜査に携わった幹部は階級を上げたり、警察署の幹部に栄転したりしている。さらに警察白書でも一時期、この事件を「実績」として掲載していた。この度NHKが特集で報じた音声記録にも次のような発言があった。「●●さんは、俺が管理職になるのはここが最後のチャンスだと(言っている)」というものだ。

 警察が事件を手掛けるというのはどういう意味があるのか。それは本来、被害者のためであり、ひいては、(公安部ならば特に)国民を守るためでるはずだ。大川原化工機事件で言えば、日本の技術が、海外の紛争地で人を殺す道具として使われるようなことはあってはならないというのが本来の大義名分であり、この意義を否定するつもりはない。世界には戦争・紛争が繰り広げられる国や地域もあり、輸出規制は必要だろう。多くの警察官は、その志のもと働いている。だから、この大義のために事件を手掛けた警察官が評価される仕組みに異を唱えるつもりもない。問題は、どちらを向いて仕事をしていたか、である。評価のために事件を手掛けるのではない。被害者・国民のために仕事をし、事件を挙げたら、結果的として評価されるものであるはずだ。組織と国民のどちらを向いて仕事をするのか。警察には、その矜持を取り戻してもらいたい。