令和五年三月末、米国主導で第二回「民主主義サミット」が行われた。令和三年に開催され、「権威主義からの防衛」「汚職への対処と戦い」「人権尊重の推進」を主題とした第一回に続き、今回は参加国の民主主義を推進する取り組みの経過報告と、バイデン大統領による民主主義に対する挑戦に対抗するための参加国による集団的行動の呼びかけが行われた。一見すると至極真っ当なものに思えるが、実態は米国に同調しない国々を一方的に糾弾し、米国の覇権主義をより強固にするためのパフォーマンスに過ぎない。

 参加国の恣意的な選択を見ればその実態が見えてくる。近年非民主主義的な政策が目立つイスラエルやメキシコは招待されており、グローバルサウスへの影響力を狙ってかおおよそ民主的とは言えないアフリカの国々も参加国の一覧に名を連ねている。その反面、米国との関係が冷え込みつつあるトルコやハンガリーはNATO加盟国であるにも関わらず招待されておらず、中国との繋がりが強いタイ・ベトナム・シンガポールなどの東南アジアの国々も除外されている。すなわち、米国に都合よく同調する国は「民主的」な「良い国」で、異を唱える国は「専制的」で「悪い国」なのだ。米国お得意のレッテル貼りである。

 実際のサミットの内容も中露をはじめとする米国ヘゲモニーに対抗する国々の批判や、なんら具体性のない取り組みの話ばかりで、おおよそ建設的とは言えなかった。米国が強引に輸出してきた「民主主義」が数々の国家主権を脅かし、世界中で分断や対立、そして争いの原因になっているにも関わらず、米国を自由と民主主義のリーダーとしてあがめ続ける西側諸国の姿は、米国覇権主義というカルトを信仰していない国々からしてみればひどく滑稽なものであったであろう。

 しかし、この民主主義サミットも裏を返せば、国際社会で影響力が衰え続ける米国の焦りの表れだろう。グローバルサウスの取り込みは伸び悩み、イラン・サウジアラビアの国交回復という歴史的合意にいたっては蚊帳の外。故に影響力を回復しようと開催したサミットだが、肝心の共同宣言ですら署名したのは招待国のわずか六割という有様。米国の掲げる利己的で独善的な「自由と民主主義」がまやかしであることに世界は気づきはじめているのだ。米国が「民主主義」を口実に傍若無人にふるまえる時代も終わりが近づいている。故に日本も米国の空っぽなレトリックに口を揃えるのに終止符を打ち、今後生まれくる新たな国際社会での立ち回りを考えていくべきではないだろうか。