広島で開催中のG7サミット。首脳たちはともに広島原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花した。「過ちは繰返しませぬから」と主語を欠くことを疑問視されていた同碑だが、岸田首相は外交成果としてそこに意味付けを試みたのだろう。岸田首相はウクライナ・ゼレンスキー大統領の来日も実現し、「平和」「核軍縮」に向けて一定のアピールに成功しているように見える。だがその実体は一方的な「反中・反ロキャンペーン」であり、他国にも踏絵を踏ませるものだ。
昨年五月、広島市は毎年八月六日に開催している「平和記念式典」のロシア・ベラルーシ大統領への招待を行わなかった。ロシアとその友好国を悪魔視し、あくまで「欠席裁判」で裁くという姿勢は、今回のサミットにも通じるものだ。
「招待がなくても、慰霊碑への献花を行いたい」というガルージン・前駐日ロシア全権大使(現・外務次官)の意向を受けた弊会の木村三浩代表が手を尽くし、八月四日、本年五月一九日にG7首脳が訪れたのと同じ地で、献花を行った。
当記事は、ガルージン前大使の慰霊碑への献花と、その後にロシア大使館・弊会が共催で行った円卓会議の報告記事である。肩書きや「本年」「昨年」などの年次表記は原文ママとしたので、ご留意されたい。
広島・長崎原爆投下に正当性はない!
米国は被爆死米兵捕虜を放置せず慰霊せよ!
本年五月二十日、広島市は、ウクライナで「特別軍事作戦」遂行中のロシア・プーチン大統領とその同盟国であるベラルーシのルカシェンコ大統領を、例年招待していた八月六日の「平和記念式典」に招待しないと発表した。政府と協議しての判断だという。
同市は、平成十年以降、北朝鮮やイランを含めた核保有国を式典に招待してきた。また、イラク侵略戦争を行っていた、つまり戦争当事国であったアメリカも招待している。これらの前例と今回のロシア・ベラルーシ不招待との整合性は一体どこにあるのか。具体的説明は一つもない。
そこで「広島市からの招待がなくても、慰霊碑への献花を行いたい」とのガルージン駐日ロシア全権大使の弔意表明を受けて、弊会木村三浩代表が手を尽くし、八月四日に献花を行う運びとなった(なお、ベラルーシのルスラン駐日大使も、七月二十一日に同地を訪れ、献花を行っている。ありがたいことだ)。
当日午前十時、ガルージン大使は、随行の駐日ロシア大使館幹部数名を従えて広島平和記念公園の慰霊碑を訪れ、一向の先頭に立ち厳粛に献花を行った。同行した弊会の木村三浩代表以下一水会関係者約十名もともに頭を垂れた。
献花の後、ガルージン大使は公園内でNHKや朝日新聞をはじめとした大手マスコミの報道陣に取り囲まれ、約三十分にわたって取材に応じた。最初に訪問の目的を問われると、
「一九四五年八月六日、アメリカが行った原爆投下という戦争犯罪の犠牲者の方々が、言葉で言い尽くせないほどの痛み、悩み、苦しみを感じられたことを、私がこの広島平和公園で記念碑に献花します際に、改めて痛感いたしました」「本日こちらにお邪魔させて頂きましたのは、まず犠牲者の方々のご冥福をお祈りし、遺族の方々に哀悼の意を表し、被爆者の方々のご健康をお祈りするためです」と答えた。さらに、「そしてロシアが、核兵器の削減、最終的な廃絶のために行っている積極的な努力について説明するためでもあります」と述べた。すべて流暢な日本語だった。
また、「現在の特別軍事作戦においてロシアが核兵器の使用に及ぶ可能性は全くない」という発言はマスコミ各社が報じたので、映像でご覧になった読者も多いのではないか。
円卓会議は有意義なものに
慰霊碑への献花の次に、同日午後一時から広島市内の「ANAクラウンプラザホテル広島」二十二階「ルミエール」にて、弊会とロシア大使館の共催により「8・4Hiroshima Round Table─軍備管理と核軍縮の現状と見通し─」と題する円卓会議を開催した。多くの報道陣も、平和記念公園での献花に引き続き取材に詰めかけた。
参会者一同、被爆者の御霊に一分間の黙祷を捧げたのち、鈴木宗男参議院議員からの連帯メッセージが読み上げられた。
会議はガルージン大使による三十分間の基調演説で始まった。その冒頭部分では「(核の使用は)ロシア連邦への侵略が大量破壊兵器を用いてなされた場合、もしくは通常兵器を使用した侵略によって国家の存立が危機に瀕した場合に限定されます。ウクライナの非軍事化、非ナチ化をめぐる我が国の行動は、このシナリオとはまったく関係がありません。世界で核兵器を実際に使用した国はただひとつ、米国です。
米国が広島と長崎に原爆を投下したのです。しかもそれは、軍事的合理性があって行われたわけではなく、事実上、両都市とその住民を対象とした、大量破壊兵器の実験であったのです」と述べ、「ただちに核兵器の非合法化を宣言したり、核軍縮期限を人工的に設定したりすることには賛同できない。核兵器の即時かつ無条件の放棄は逆効果」としながらも、世界の核軍縮のための現実的かつ積極的な提言がなされた。
ガルージン大使のスピーチの全文はこちらに掲載しているので、是非お読み頂きたい。
引き続いて弊会木村代表が二十分間のアピールを行い、NPTの不履行が核保有国の特権化を招くとし、広島の地では米軍捕虜も原爆投下によって十二名亡くなっていることにもふれ、投下国の責任を曖昧にしないために新しい慰霊碑を建立すべきと提言した。
また会場では、弊紙読者にはおなじみの国交省OB・三島神社禰宜の山口智氏をはじめ、大分県のU県議、山口県のI防府市議や、ハリストス正教会の日本人信者などがそれぞれの立場からコメントした。
弊紙にも幾度もご寄稿頂いている軍事ジャーナリストの篠原常一郎氏は、「八年にわたりドンバス地方でウクライナのアゾフ部隊がロシア系住民を迫害していた真実を指摘して親ロ派・陰謀論者と呼ばれるなら、親ロ派・陰謀論者で結構だ」とタンカを切り、今回の円卓会議開催の意義を高く評価した。
核問題を専門とし、モスクワでの取材経験も豊富な朝日新聞の副島英樹編集委員も来場し、「今回のガルージン大使の広島での発言は、一九八五年のゴルバチョフ・レーガンの合意、昨年六月のジュネーブでの米ロ首脳会談で行われた『核戦争に勝者はない』とする核軍縮への合意を踏まえたものか」と問い、大使は「ロシアの核軍縮への意志を示すものだ」と認め、「ロシアこそ核軍縮のリーダーシップを執らなければいけない」と結んだ。総勢約三十名が活発かつ建設的な議論を行ったこの円卓会議は、弊会の番家誠副代表(兼岡山支部長)の閉会挨拶をもって無事に終了した。
なお、約二時間にわたった円卓会議の全貌は、前述の篠原氏がご自身のユーチューブにおいて配信し、こちらにアーカイブも残っているので、是非ご確認されたい。
円卓会議終了後、ガルージン大使は隣室で記者会見を開き、すべての質疑に対して達者な日本語で誠実に答えていた。
マスコミは日々「ロシア=悪」「ウクライナ=善」というステレオタイプの報道を繰り返しており、この会見でもマスコミ各社とも一面的にロシアを断罪しようという意図の質問が相次いだが、ガルージン大使は毅然とロシア側の主張─今回の特別軍事作戦の目的は「ウクライナの非軍事化・非ナチ化」である。なぜ日本のマスコミは八年間に及ぶドンバス戦争にふれないのか─を説き、原爆を実際に投下した国〈アメリカ〉を平和式典に招きながら、投下していない国〈ロシア〉を呼ばない広島市の決定を批判した。
大使訪広を各社が報道
ガルージン大使の広島訪問とそこでの発言は、ほぼ全てのマスコミによって全国的に報道された。(弊会が円卓会議を共催したことを報じたメディアは、一部に限られた)また、同大使は八月九日を期し、代理人を介して長崎平和記念像前にも広島同様に献花を行い、長崎新聞等が報じている。長崎も式典にはロシアを招待しなかったが、それでも献花をされた大使の真心には、日本人として感謝申し上げたい。
案の定、大使の広島訪問に「慰霊の場を政治利用するな」「核を使用しないと言って、どうせ使用するのだろう」と茶々を入れる向きがある。だが、「ロシア=悪」という先入観を一度おいて、まずは慰霊碑に深々と頭を下げ、敬虔に哀悼の誠を捧げた全権大使が、メモも見ずに日本語で真摯に語った言葉に、素直に耳を傾けてはいかがだろうか。「政治利用」を言うならば、「過ちは繰返しませぬから」と主語を欠いたあの慰霊碑の文言こそ、対米従属日本の政治的妥協の産物以外の何物でもない。殺戮された幾十万の同胞の無念が、米国の正式な謝罪もなしに報われるはずがない。アングロ・サクソンの数百年単位での横暴に対抗しうる世界各民族の「総調和」、換言すれば「八紘一宇」の思想こそ、日本の本当の国益に資することになるのだ。そのための第一歩こそ、弊会の二十年来のスローガン「対米自立」にほかならない。ガルージン大使の発言はその肯綮(こうけい)に中るものだ。
八月四日付で、ロシア大使館のツイッターアカウントはモノクロの写真を添えて献花を報告する投稿を行った。当日朝には、誰が事前においたのか不明ながら、ウクライナカラーの折り鶴が慰霊碑の前にあり、大使がその隣に献花したことは事実である。しかし、モノクロでの投稿は、敬虔な弔意を表明するためのものだ。ツイッターでは「なぜモノクロなのか」「ウクライナカラーは不都合だからか」との揶揄の声が見られたが、ゲスの勘繰りと言うほかない。
八月六日付「朝日新聞」では、円卓会議に出席していた副島編集委員が、ガルージン大使の広島訪問を細かく分析し、全体を網羅できる記事を書いている。(「ロシア大使はなぜ突然広島へ 炎天下の熱弁27分、ほの見えた狙い」)弊会の姿勢についても正確だ。他メディアながら、ぜひこちらもご一読頂きたい。
なお、今回の木村代表以下の広島訪問に合わせ、番家副代表率いる岡山支部のメンバーや、山口や島根など、中国地方の会員が十名ほど結集し、会場の設定や運営などに尽力した。東京だけではない一水会の底力、潜在能力といったものを存分に発揮できたのではないか。
また、今回の円卓会議を契機とし、慰霊碑の碑文について、米国の投下責任を明確化する活動、また犠牲となった米国人捕虜一二名についての事実関係の確認・啓蒙活動を、番家副代表が中心になり、広範な人脈を基に行うことになった。まずは史実の発掘からだ。
SNS上でのペンネームでのコメントに、ロシア大使館との円卓会議の共催について、大変辛辣な表現で鋭く本質を見抜き、評したものがあった。「『一水会』とロシアの共催だって。政治の座標図が完全に更新されている。いまだに(冷戦期の)ミギ・ヒダリ軸に脳髄が固定され〝美しい国〟やら〝愛国〟やら喚いて、狂信的な外国発カルトに自国民の全人生と家庭を破壊させて、売国に励んでる政党を一生懸命支持してる炸裂的なバカには理解できないんだろうな」と。
弊紙先月号の八面では、大手商社で海外業務を長年つとめたビジネスマンである岡長裕二氏に御寄稿頂いた。その中で、「〝国際社会〟vsロシア」の構図で日本人は世界情勢をとらえがちだが、ロシアが非友好国と指定した四八か国は、人口でいえば世界のわずか一五%にすぎない。日本人はいつまで名誉白人気取りなのか、と重要な指摘をされていたことも想起して頂きたい。
戦後YP体制の延命を許すのか。それとも、我が国建国の思想に立ち返り、世界各民族の訴えに耳を傾けるのか。時代は分岐点に入っている。今なお戦後体制保持派が跋扈している中、弊会の独自の活動にご注目、ご期待頂ければ幸いである。
<月刊レコンキスタ令和四年九月号掲載>