鈴木邦男の女性ファンは〝邦男ガールズ〟だけではない。あのコワイ、もとい厳しい辛淑玉までがその死に泣かんばかりで、私は一月三十一日に「のりこえネット」で追悼対談をやらされた。

 鎌田慧などと共に鈴木も私も「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」の選考委員となっていたが、同じく選考委員の落合恵子も彼の死にガックリしていた。

 但し、櫻井よしこは違うだろう。独特のユーモアで鈴木は櫻井をからかっていた。

 鈴木がバリバリの右翼青年だった時、『クリスチャン・サイエンス・モニター』の記者をしていた彼女が鈴木を取材したという。

 「右翼青年! おう、テリブル(恐ろしい)」などと言っていたが、鈴木は「いまは貴女の方がテリブルだよ」と嗤っている。

 櫻井、落合、私が同い年で、鈴木は私たちの二歳上だった。

 二〇一〇年に出した鈴木と私の対話『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)では、鈴木が、

「右翼は、頭が良くないから(笑)、体を使ってどっぷりと運動の中で生きるしかない」

などと言うので、私は笑いながら、

「そんなこと言っていいの?」

と返している。

 また、川本三郎との共著『本と映画と「七〇年」を語ろう』(朝日新書)では、三島由紀夫と一緒に亡くなった森田必勝の若いころの日記に森田が「(社会党の)浅沼稲次郎が好きで、浅沼が卒業した早稲田に入ろうと思って、浅沼を殺した山口二矢は許せない」と書いているという秘話を明かしている。
鈴木が調べてみると、右翼の大東塾の影山正治は、あの時「三島を射殺すべきだった」と言っているし、皇學館大学の田中卓という先生も、「自衛隊が間違っていた。いくら三島に脅されても、自衛官をバルコニーの前に集めるべきではなかった」と怒っている。

 ところで、鈴木の『愛国と憂国と売国』(集英社新書)に「左翼であることを公言している人」として私が出てくる。公言しているつもりはないのだが、「左翼ではないとは言いたくない」とは思っている。批判派を左翼と言うなら、勝手に言え、というだけである。

「佐高さんはめっぽう口が悪い。特に、政治家や評論家、学者などを批判する時の舌鋒の鋭さはただごとじゃない。聞く方は面白いけれど、心配になったりもする」

私は鈴木をも心配させていたのか。

「人格攻撃しないで、思想だけを批判することはできないもんですかね」

 ある時、鈴木は私にこう言ったらしい。当人に記憶はないのだが、左から右に変わったりする「生き方」を断罪すると、人格攻撃になってしまうのか。

 いずれにせよ、私は鈴木を、少なくとも私よりはテリブルな存在だと思っていたが、あるいは鈴木は私をテリブルと思っていたのかもしれない。好敵手という感じの鈴木の死を惜しむばかりである。