音楽界の巨星も憂えた

 四月二十二日、「聖徳記念絵画館」近くで開催された神宮外苑再開発に抗議するデモには、約六千人が集まった。三月二十八日に逝去した音楽界の巨星・坂本龍一氏は、同月上旬に小池都知事、永岡文科相、それから文化庁長官、新宿・港区長宛に、「神宮外苑の再開発を見直すべき」旨の手紙を送っていた。そのニュースに接した時は、まさか一か月もせずに氏が落命するとは思っていなかったので、訃報は寝耳に水だったが、「森を守れ」という最後の主張が、遺言のようにデモに谺したのだ。

 これに先立ち二月二十八日には、神宮外苑の周辺住民六十名が、再開発計画をめぐって東京都の認可取り消しを求め、都を相手取り訴訟を提起している。東京地裁は三月三十一日に原告の「執行停止申し立て」を却下したが、約二百名に膨れ上がった原告団は即時抗告の方針を示し、今後の動向も注視される。

 案の定、行間の読めないネット右翼は、「都の方針に反対の主張をしたから」程度の理由をもって、再開発反対派について「左翼的主張、よって耳を傾ける必要なし」という浅はかな主張を繰り広げている。

 たしかに生前の坂本龍一氏は、脱原発や護憲など、ざっくりいって「左派」に分類されがちな社会的主張をものする人物ではあった。しかし、この「歴史ある森を守れ」という手紙に関していえば、「左翼的文化人」の高踏的・独善的な主張の範疇とは異なり、ダイレクトに地域住民の郷土愛を汲んだもののように思える。

 すでにこの、神宮外苑再開発の問題については、週刊『ダイヤモンド』や、対米自立を訴える保守オピニオン誌『月刊日本』が、反対を言明する記事を幾度も掲載している。両誌や、各新聞記事をもとに、論点を整理したい。



①事の発端としては、平成の中頃に明治神宮の宮司を務めていた外山勝志氏が神社経営を私物化した上に、さらなる金儲けを目論んで外苑再開発を企図したと言われる。氏が宮司を退任して計画は頓挫したが、東京五輪絡みで、森喜朗氏の肝いりで計画が再浮上した。

②伊藤忠商事、三井不動産と明治神宮、さらに文科省官僚の天下り先として知られる「独立行政法人日本スポーツ振興センター」の四者が事業者として名を連ね、神宮外苑内の神宮球場とラグビー場を場所を入れかえるかたちで建て替え、伊藤忠と三井不動産の大規模商業ビルを新築する。すでに三月二十二日に神宮第二球場解体工事が着工されており、全体の工事完了は令和十八年となる見込みである。

③再開発にあたって伐採される樹木の数について事業者は七四三本と説明しているが、実はこれは高さ三メートル以上の本数であり、低木を含めるとその数は約三千本に達する。外苑名物の「銀杏並木」も切らずに保全するとはいうが、新球場の外壁との距離があまりにも近く、並木の根が甚大なダメージを受けることは避けられない(中央大・石川幹子教授)。

④令和四年十一月三十日、自民党から共産・社民党まで保革超党派の「神宮外苑の自然と歴史・文化を守る国会議員連盟」が発足し、再開発反対で各所へ申し入れを行った。ただし、宗教法人(明治神宮)の財産処分の決定について、国会議員が介入することは、我が国の現状の政教分離の在り方として、良くない前例となりかねない、と懸念されている。

⑤神宮外苑が「名勝」に指定されれば、自然・景観を破壊する再開発は防げるのではないか(自民党・船田元氏の提案=『月刊日本』令和五年二月号)との提案もある。ただし、名勝指定には所有者・明治神宮の同意が必要である。

国民奉賛の赤誠を忘れるな!

 そもそも明治神宮外苑の樹木は、明治天皇の聖徳を仰ぐ全国国民の、赤誠あふれる奉賛によって植樹されたものだ。

 右の③の中で、伐採される木の数を三千本と記したが、その一本一本に愛国的国民の真心がこもっている。一例を挙げると、神宮第二球場の北側に「建国記念文庫の森」と名付けられた、約四千平方メートルの森がある。昭和四十一年六月に祝日法が改正され、「政令で定める日」を建国記念の日とすることになった。その際、国民からは数十万通もの意見書が寄せられ、結果的に同年十二月に審議会の答申を受けて、政府は紀元節であった二月十一日を建国記念の日とする政令を公布した。この「建国記念文庫の森」の中には、この国民の熱誠こもる手紙が保管された高床式の穀物倉が建っているのだ。この再開発が計画通りに進められると、この由緒ある森の大半が失われてしまうことになる。

 また、すでに『月刊日本』で引用されているが、大正十五年、外苑発足にあたり、明治神宮奉賛会が明治神宮の一戸兵衛宮司に宛てた「外苑将来の希望」という要望書がある。その中では、神宮外苑の理想は「明治天皇及昭憲皇太后を記念し、明治神宮崇敬の信念を深厚ならしめ、自然に国体上の精神を自覚せしむる」こととし、今後の運営において「常に右の理想を失はざる様、篤と御注意あり度事」と述べられている。また、外苑は「国民多数報恩の誠意により明治神宮に奉献せるもの」であって、「他の遊覧のみを主とする場所」とは性質が異なり、「今後、外苑内には明治神宮に関係なき建物の造営を遠慮すべきは勿論」である、と力強く訴えている。

 提出したメンバーの中には、奉賛会の副会長として三井家の当主・三井八郎右衛門(高棟)の名前もある。今回の明治神宮や三井不動産の決定は、こうした自らの先人たちの気持ちをも踏みにじるものではないのか。

「ガラスの棺桶」にするなかれ

 東京五輪によって、景観維持のために設けられてきた建築物の高さ規制が不透明なプロセスで緩和され、『ダイヤモンド』の試算によれば、「空中権」移転で動くカネは、伊藤忠・三井不動産の合計で約千三百億円という金額に達するという。この金額は、「空中権」関係の取引でも過去に前例がない、それこそケタ違いの額だという。

 三井不動産の再開発事業には、近年に前例がある。渋谷・宮下公園の跡地に建設した「MIYASHITA PARK」である。「ジェントリフィケーション」、あるいは「SDGs」と、キラキラした装飾語で飾り立てられるが、同地では数十名の路上生活者が強制排除され、強硬な反対運動が起こった。アルファベットの「意識が高い」ビルが都内にいくつ建とうが、そこに日本土着の、泥くさい生活者の息づかいはない。民族の祈りはなおさらない。拝金主義のいやらしさがキラキラ輝いているだけだ。神宮外苑もまた、そうした神不在の「ガラスの棺桶」に変貌してしまうのだろうか。

 再開発問題で連想してしまったのが、大阪府の松井一郎知事(当時)が、仁徳天皇陵の世界遺産登録について「イルミネーションで飾ってみよう、中を見学できるようにしようと、色んなアイデアを出してはじめて指定される」と放言してはばからなかった姿である。また、同じく大阪維新の会の永藤英機・堺市長も「古墳群を(気球などで)上空から眺めるためのあらゆる方策を検討する」と言ってのける。そこに尊皇の赤心はない。

 尊皇心のカケラもない財界人や政治家が、このようなカネ儲け至上主義の発言をすることは、はなはだ不敬千万で許しがたいという思いはあるにせよ、良心的国民が徹底的に抗えばいい話である。しかし、事業者の一員として、計画にゴーサインを出したのは誰あろう、明治神宮である。再開発問題の根幹は、ここにあるのではないだろうか。

御祭神の大御心を体し再開発計画の再考を

 「ならび行く人にはよしやおくるともただしき道をふみなたがへそ」。たとえ他の人に遅れをとっても、正しい道を踏み誤ってはいけませんよ。明治神宮の御祭神・明治天皇のありがたい御製である。明治神宮の神職は、毎朝明治天皇の御製を拝しながら神明に奉仕しておられるのではなかったか。

 氏子組織を持たない「崇敬神社」である明治神宮の経営が、他の全国神社と歩調をそろえるようにかねてから厳しく、さらにそれにコロナ禍が追い打ちをかけているという話は、神社関係者から仄聞する話ではある。しかし、神主が「食わん主」と呼ばれてきたのは昨日・今日の話ではない。神職は職業ではなく「使命」であるという矜持を再認識し、大企業頼みのウルトラCで経営再建をはかるのではなく、「名勝」指定による樹木の保全も見据えながら、一人ひとりの崇敬者と真摯に向き合うべきではないか。それが御祭神の大御心にもかなう、唯一の道ではないのか。関係者には、再開発計画の再考を切に訴えたい。

慷慨の歌 二首

あぢきなやひじりの君のいさをしをつたふる心今いづくにぞ
君をしたふ大正昭和のまめ心令和の御代に捨つるべきかは(編集部)