夢の翼

 右翼陣営の中の極左、容共右翼など、複雑にそう呼ばれたのが、鈴木さんの真骨頂であったに違いない。いや、鈴木さんを始め、我々もまた然りである。鈴木さんを超えれば、もう右翼人ではなく、左であると嘲笑する者もいた。

 「あなたに夢の翼が見えますか。」と、当時、春秋に富む我々に、鈴木さんは問いかけた。「変革運動とは、一つの大いなる夢をこの世において実現せんとすることである。」「さらに我々の運動が諸々の〈現実〉に足をすくわれつつあるのならなおのこと、それらを抜きん出る壮大な夢を見なくてはならない。どこまで夢をみつづけることが出来るか否かが時には〈現実〉をどれだけ超える運動ができるかどうかの試金石にもなる。」

〈ことば〉をのこす

「夢みる拠点をどこに置くべきかという、より〈現実〉的、運動論的な課題でもある。又、飛ぶための〈足場〉を定立したいということは、自らの夢が、自分一代では実現不可能と思い定めた時に(大抵の場合はそうであるが、故に夢なのだから…)その夢をいかにして次の世代へと伝えてゆくか、を考え抜いた結果でもあろう。その〈足場〉を求め定立するとは、別の表現をすれば〈ことば〉をのこすということでもある。」

 ここで、鈴木さんは、三島先生は、『豊饒の海』四巻を遺し、野村先生は、「民族の触角」「前衛」ということばを、孔子は「論語」を、司馬遷は「史記」を遺したと書いている。

夢に周公を見ず

「例えば孔子。彼は己がすむ混沌とした、まさに崩れゆく現状の中で、この世を正す〈変革の原基〉をかつての周の時代に求めた。周の文王、周公の世を再びこの現実の世にもち来たさんという回天の夢を見続けていたのである。」

「同時にこうも考える。〈夢に周公を見ず〉とは一人、孔子の嘆きではなく、夢をなくした現代右翼民族派の嘆きでなければならないと…。」

思い切り翔ぶがいい。古い翼なんか捨てて

「変革の原基は夢である。これは何度でも言おう。そして、その夢を持つ、自分である。夢のもてない人間には、初めから、変革を語る資格などない。」

「シュリーマンの夢と、狂信的ともいえる熱情がトロイの発掘を可能にしたように。我々も又、壮大な夢のもと、失われつつある美しい日本そのものの発掘を行なうのである。東方の賢者たちをベッレヘムへ導いた星のように、我々の夢が、我々の壮途の導きの星となるであろう。それはこの暗い時代にあって、ひときわ輝く星である。夢の翼をひろげ、思い切って翔ぶことである!古い翼は打ち捨てて。はるかに高く、はるかに遠くへ…。」

 カッコ「」は、焼鳥屋の二階で、鈴木さんに初めてお会いした時に、いただいた『現代攘夷の思想』第三部「反戦・平和・ユートピア」からの抜粋である。私も還暦を過ぎ、夢に周公を見ず、ではあったが、夢に周公を見るように、次代と共に、見果てぬ夢をみつづけたいと思います。鈴木さん、ありがとうございました。紀之崎拝。