慶長の役での一つの出来事

 九月二三日、二四日に韓国の珍島で開かれた「倭徳山日本人侍塚」の国際学術会議及び慰霊祭に参加するため、鳩山友紀夫氏(元首相・東アジア共同体研究所理事長)、 天木直人氏(元外交官・京都から世界に平和を広める会事務局長=以下、京都平和の会)らとともに弊会・木村三浩代表も訪韓。

 これは、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、兵士がその論功行賞として日本に持ち帰った朝鮮人の耳、鼻などを納めた京都・方広寺、津山耳塚などの鎮魂、供養を実施してきた同「京都から世界に平和を広める会」や、鳩山元首相に韓国の珍島文化院(倭徳山保存会・朴柱彦院長)が招待したものだ。

 この珍島倭徳山に眠る日本人侍は、一五九七年九月一六日の慶長の役当時、珍島海域の鳴梁海戦で敗れ戦死した村上水軍(来島水軍)の遺体が、敗戦後に珍島古郡面烏山里の海岸に押し寄せ、同島の住民たちが『遺体は敵ではない』として埋葬してくれたということ。また、「『倭人に徳を施した』として、埋葬場所を倭徳山と名付けられた」との由来があり、今回の学術会議、慰霊祭開催のキッカケとなった。

敵を慮る「倭徳山精神」が必要だ

 今回の慰霊祭には一〇〇名の関係者が参列し、韓国側の要人のあいさつに続き鳩山元首相、天木元大使が追悼の辞を述べた。

 とくに鳩山元首相は、「今まさに日韓の間にはこの倭徳山精神が必要です。戦いが終わって人々を弔う気持ちは崇高であり、珍島の人に感謝するとともに、日本の中でも耳塚供養をする人々もこの精神を共有されていると思います。これらの人々の思いは、人道的な正義と平和を求めることになると思います。そのことは、他を尊重し合うことから始まると思います」と、倭徳山精神の必要性を訴えた。慰霊祭はその後、倭侍が眠る大地に参列者がそれぞれ焼香を上げ、土に眠る日本人侍にお茶を振る舞って終了した。

 一方、慰霊祭の前日に開かれた学術会議は、韓国全羅南道が支援する「市郡歴史文化資源発掘・教育事業」の一環として行われ、日本からは東京大学・伊藤亜人名誉教授が参加するなど、日韓の歴史学者が両国の歴史的な出来事の検証、問題提起などを行った。同学術会議において、日韓の歴史的な戦いの戦死者を鎮魂することを目的とし、「京都平和の会」(天木直人事務局長)と珍島文化院の朴柱彦院長の間で「協力事業の協定書」が結ばれた。

 二三、二四両日の全日程を終えて、KTX(韓国高速鉄道)に乗り、木浦からソウルまで片道三〇〇キロの帰途に着き、途中、韓国有識者との会談を行い、夜、ソウルに到着した。

 現地では、聯合ニュースなどの報道が慰霊祭の模様を報じ、「倭徳山慰霊」の意義が伝えられた。一行は、二五日にソウル金浦空港から羽田空港に無事到着した。今後、珍島・倭徳山の歴史的事実を検証し、倭侍の慰霊・供養を通して日韓関係の良好な発展に努めていくとともに、このような歴史的な事実を、少しでも日本社会に広めていきたい。

【月刊レコンキスタ令和四年一〇月号掲載】