日本の人口を一億五千万人に!!

 今回のテーマは「三十年後、令和三十五年の日本の人口を一億五千万人にする為に」です。

 人口減少、少子化の問題は今や喫緊の課題と言って良いでしょう。しかし、この減り続ける人口に対して、「諦めるしかない」という意見の人が多いです。

 令和三年の一月二十一日に、東京の大手町のパレスホテル東京で開催された日本経営合理化協会主催の「全国経営者セミナー」で、河合雅司氏の講演を聞く機会がありました。

 河合氏の肩書は「一般社団法人人口減少対策総合研究所理事長」であり、人口問題の専門家で多くの著作があります。

 河合氏の講演は、「日本の人口は間違いなく減少して行く。これにどう対処して行くか?」という内容でした。

 「人口減少は自然の摂理であり、人間の努力でどうにかなるものではない。だからこそ、減少した人口に対応する国家戦略を採るべきではないのか?」という、諦めに近い主張ですが、私はこれを聞きながら「違う!」「違う!」と心の中で叫んでいました。

 人口は国力と同じです。日本が戦後復興を成し遂げ、世界第二位の経済大国となった力の源泉は国民の「数」にあるでしょう。

 「人口は減るのが当たり前」という河合氏の意見では、「国力が低下するのは仕方ない」という事になります。

 今こそ、減り続ける人口に歯止めをかける時ですが、河合氏の様な意見が世論の支持を得ると、「ますます日本は衰えて行くのではないか?」と思います。

 私は河合雅司氏の話を聞いた時から、少子化問題や人口減少問題に関して、以前より真剣に考える様になりました。

 「日本の人口は減っている」と言っても、私が見たものや聞いたものとは「違う」と感じました。

 「愛国の人生」の過去の連載では、北海道で百二十人の人達が楽しく、明るく、幸せに暮らす「モデル都市」の例を何度か紹介しました。小学四年生の「せいこう」君の一家は九人兄弟の大家族です。

 また、四年前の「第十六回ユートピア研究会視察ツアー」の事前調査で訪れた岩手県では、四世帯の家族が同居する花農家を訪問した事がありました。第五回の「川瀬善業の愛国の人生」に、リンドウの花農家のおばさんと私が一緒に写った写真が掲載されています。

 日本の各地では、この様な子沢山の例が多くあります。地域社会が子育てに力を入れ、人に優しい社会を維持しているからですが、同じ様な事を日本全国で展開すれば、人口は増えて行くのではないでしょうか?

 私がここで紹介したいのは、岡山県勝田郡の奈義町(なぎちょう)です。奈義町は岡山県の北東部、鳥取県との県境に位置する山間部の小さな町で、人口は五四九一人ですが、合計特殊出生率は二・九五という高い数値を記録しています。

 日本の出生率は一・三七ですから、奈義町の数値のものすごい事が分かります。人口五千人の小規模な町ですが、「平成の大合併」の時には隣の津山市との合併提案に反対し、町の存在を守り通しました。

 奈義町は昭和四十四年八月一日に「大日本帝国憲法復原決議」を町議会で可決承認(賛成十、反対七)しています。この時は「黒住教」の信者であり、谷口雅春先生の信奉者であった、延原芳太郎町会議員の活躍がありました。

愛国の町の奈義町の「奇跡」とは?

 「大日本帝国憲法復原改正案」は、皆様ご存知の様に、生長の家の谷口雅春先生が主導されましたが、もう一つ主導されていたのが、「優生保護法改正運動」でした。

 「優生保護法」とは、昭和二十三年から平成八年まで存在した法律(現在は母体保護法)で、母親のお腹の中の赤ちゃんを中絶(殺す事)しても良いという内容です。

 母親が赤ん坊を殺す…、そこには様々な理由があるでしょうが、「子殺し」には違いありません。天から授かった生命を人の都合で殺す事は、あってはならない行為です。

 谷口雅春先生はこの観点から反対され、「生長の家政治連合」で、全面的に「優生保護法改正運動」を展開しました。「日本助産婦協会」の会長であった横山フクさんを参議院議員の候補として全面的に応援していました。

 私も「優生保護法」の考えには反対です。いかなる理由があっても、子供の命は守られるべきです。
二・九五の出生率を記録した奈義町ですが、平成十七年の出生率は一・四一であり、以前から高かった訳ではありません。人口減少への危機感から、奈義町は子育て支援に積極的に乗り出したのです。
「奈義町の奇跡」をもたらしたのは、「子供が多ければ多い程、手厚くなる子育て支援」でした。

 奈義町では平成二十四年の四月に、「奈義町子育て応援宣言」を出しています。

 それによれば、「満七か月児から満四歳で保育園に入園していない児童を養育している人を対象に、児童一人につき月額一万五千円支給」、「医療費を高校生まで無料」、「子供が生まれた時には、出産祝いとして一律に十万円交付」等財政面からサポートしています。

 また、奈義町には次のような支援もあります。

①就農支援は、三九歳以下の人が新たに農業の職に就いたら一〇万円の支給。
②十六社の中小企業で八百人の人が働く東山工業団地。
③四五歳未満の独立就農者に、年間最大一五〇万円の支給。
④子育てしながら、「奈義しごとえん」で短時間働ける。
⑤保育料が国の半額、第二子はその半額、第三子より無料。
⑥在宅育児の保護者に一五、〇〇〇円の支給。
⑦高校生への年額一三万五、〇〇〇円の支援金。
⑧若い夫婦が住むための住宅の造成。

 さらに、妊娠時のサポート、保育園の完備、健康診断の実施、各種感染症に対するワクチン接種等もサポートしています。「人口五千人の小さな自治体がここまでするのか?」と思いますが、子育ての本気度が違います。

 奈義町が行った子育て支援を、全国の市町村がやるようになれば、確実に日本全体の出生率は上がるでしょう。

 私は「奈義町の奇跡」の例を、地元三重県のいなべ市、東員町、そして会社がある四日市市、そして三重県の各議員に紹介し、「同じ事ができませんか?」と提案していきたいと思います。

 令和四年の十一月七日に、私は新幹線とレンタカーを使って岡山県の奈義町を訪れました。延原さんのお墓を墓参し、「奈義町の奇跡」をもたらした、奈義町の役場の人の話を聞いてきました。

 三重県と、三重県の鈴鹿市と、三重県の多気町から、「奈義町の奇跡」を勉強に来たとのことです。
川瀬善業は、「奈義町議会」の事務部に行き、そこでも話を聞いてきました。

 毎月発行の「奈義町議会だより」には、令和四年五月以降、「栃木県さくら市、徳島県北島町、秋田県大館市、北海道中富良野町、岡山県総社市、倉敷市、真庭市の各議会の視察がありました」と書かれています。

「赤ちゃんポスト」の必要性

 京都府宇治市の大熊良樹(おおくま・よしき)さんは、「いのちを守る親の会」を結成し、活動しています。

 「いのちを守る親の会」では、予期せぬ妊娠に悩んでいる妊婦さんの相談相手となり、各種支援を行っています。

 赤ちゃんの命を守る事も大切ですが、父親や母親の悩みをケアし、解放させる事も目的としています。

 「いのちを守る親の会」は現在、四十二都道府県に三百八十人以上のサポーターを配置し、人工妊娠中絶から子供の命を守っています。

 大熊さんは以前、㈱フローラの本社に来て頂きました。私も大熊さんの活動に共感し、「いのちを守る親の会」を応援しています。

 大熊さんの「中絶から赤ん坊の命を守れ」という運動は、だんだん実を結びつつあります。もう一つ例を挙げれば、熊本県熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」です。

 これは「赤ちゃんポスト」の名前で知られる様になりました。望まぬ妊娠で子供を授かった母親が匿名で子供を預ける保育器で、平成十九年に慈恵病院に設置されました。

 このような施設が日本には三か所あります。熊本県熊本市の「こうのとりのゆりかご」と、北海道石狩郡当別町の「こどもSOSほっかいどう」の「ベビーボックス」と、愛知県名古屋市の「ライフ・ホープ・ネットワーク」です。

 世界各国ではドイツ、パキスタンを始め多くの国で数多く設置されています。赤ん坊の命を救おうとする意識が強く伺えます。

 令和四年九月に、厚生労働省と法務省は医療機関や自治体向けに、「妊婦が身元を明かす事に同意しない場合に医療機関が仮名でカルテを作成できる、市区町村は母親を空欄にしたまま生まれた子の戸籍を作れる」という指針を初めて公表しました。

 令和四年八月二十二日付の『日本経済新聞』のコラム「風紋」に、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に預けられた宮津航一さんの記事が掲載されました。

 宮津さんは平成十九年、設置されたばかりの「こうのとりのゆりかご」に預けられました。その後は里親のもとで育てられ、十八歳になった現在、地元の大学に通いながら「子ども食堂」の運営を手伝っています。

 宮津さんは十八歳になった時に初めて実名を明かして、この時の経験を語り始めました。

 記事によれば、宮津さんは「こうした施設が不要な社会ならそれに越した事はない」と言いながらも、「これまで育ててくれた両親に感謝しているし、ゆりかごがあって良かった。まずは母子の命が守られる事が大事。そこから始まるのだから」と語っています。

 慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」を設置した時、日本では先例がありませんでした。「育児放棄を助長するのではないか?」との反対意見も多くありました。

 しかし、若い母親が望まぬ妊娠から赤ん坊を「殺す」事例は多くあります。家庭環境、経済状況から堕胎を選択しなくてはならない事情がありますが、中には中絶措置を受けずにどこかに生んで放置し、死なせてしまい、母親が逮捕される例も起きています。

 こういう事件が起こるたびに「親は何をしていた!」と世論は責め立てますが、悪いのは「子供を育てられない環境」にあるでしょう。核家族化が進む現代社会では、周囲に助けてくれる人もおらず、子供を一人で育てなくてはならないシングルマザーの問題があります。

 虐待、育児放棄の問題も解決されていません。

 親が育てられないのなら、地域社会が助けるように努力すべきではないでしょうか?

 過去十五年間、慈恵病院で預けられた子供の数は一六一人です。皆、里親のもとで、すくすくと育っています。

 慈恵病院の対応は素晴らしいと思います。本来であれば地域社会、自治体、国が率先して助けるべきでしょう。子供は地域の宝であり、国の宝でもあるはずです。こうした問題を放置して、「人口減少は仕方がない」と言い張るのは、怠慢と言えます。

 私はずっと以前から慈恵病院の試みに注目しており、応援していました。大熊さんの例もそうですが、今後もそういう人達を応援していきたいと思っています。

ハンガリーのオルバーン首相の子育て支援

 少子化には国も危機感を抱いており、政府は来年、令和五年一月から出産準備金を妊娠時、出産時に合計十万円を支給する政策を打ち出しました。

 立憲民主党も来年春の統一地方選挙に備え、「子育て政策」の策定を進めています。

 子育てに関して、日本がモデルとするべき国はハンガリーです。

 『週刊現代』の編集次長で、東アジア研究の専門家である近藤大介さんは「東アジア真相取材ノート」の第六十九回(令和三年一月四日付)」でハンガリーのオルバーン首相を取り上げています。

 ハンガリーは人口九八〇万人、面積は日本の四分の一程度、GDPは世界五十七位と小国ですが、オルバーン首相はGDPの四・七%を導入して、積極的な子育て支援策を打ち出しました。

 それは何と「子供を産めば産むほど、税金が免除される」という政策です。一人産めば月額三十二ユーロ、二人目からは六十ユーロ、三人目からは九十九ユーロ免除され、四人目を生むと所得税が全額免除という、世界でも稀な政策です。

 子供が生まれてからも育児支援を支給する他、若いカップル向けに、結婚奨励金、マイホーム補助金、学生ローン返済減免という対策を打ち出しています。

 オルバーン政権が子育て支援に積極的なのは、EUが打ち出す移民奨励への対抗策もあるでしょう。

 「人口減少の穴埋めに移民を」という声は日本でも聞かれますが、言うまでもなく移民に頼るのはあまりにも危険です。

 オルバーン首相はかつて、ヨーロッパを襲った移民危機に際して断固として移民の入国を拒否し、EUの政策と真っ向から対立しました。

 欧米諸国の価値観からは「移民を否定する権威主義者」「ハンガリーのトランプ」と称されるオルバーン首相ですが、近藤さんは彼を「ハンガリーの田中角栄」と呼んでいます。

 「移民に頼らずとも人口は増やせる!」と言うのがオルバーン首相の持論です。様々なデータを例に出す姿はまさに、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中角栄首相を彷彿とさせます。

 オルバーン首相を日本の政治家は見習うべきですが、「第二の田中角栄」として、子育て支援に積極的に乗り出す政治家が出て欲しいです。国政レベルで少子化対策を打ちだそうとする人がいるならば、私は全面的に支援します。

 さて、前回の連載では日本神話の「国生み」を紹介しましたが、こういうシーンがあったのを覚えているでしょうか?

 イザナミノミコトは夫のイザナギノミコトに対し、「愛しい人よ、こんなひどい事をするなら、あなたの国の人間を一日に千人殺します」と脅しました。

 対してイザナギノミコトは「愛しい人よ、ならば私は産屋を建てて一日に千五百人の子を産ませよう」と言います。

 神話の時代から、「子育て」は重要だと説いているのです。それをいつのまにか、日本人は忘れてしまいました。今こそ子育ての重要性について、思い直す時ではないでしょうか?