それはそうだ。
爆弾や火炎瓶が野放図に飛び交う社会よりは、銃弾の一発も飛ばない平穏な社会がいいに決まっている。全ての言論が尊重され、社会矛盾も存在せず、民主制が健全に機能する、そんな理想郷では、誰もテロルに訴えようとはしないだろう。
四月十五日、和歌山県の雑賀崎漁港で、二十四歳の木村隆二青年が岸田文雄内閣総理大臣に投擲したパイプ爆弾はすぐに爆発せず、二名の不幸な軽傷者を出すにとどまり、木村青年はすぐに漁師と警官に取り押さえられた。マスメディアも、ソーシャルメディアも、昨年七月の安倍元首相襲撃事件に続いて沸き立ち、「民主主義の敵、テロを許すな」「木村容疑者の思想的背景は」「いや、テロリストの主張を垂れ流すな、黙殺せよ」などの声が騒がしく飛び交った。
論者は、そのテロの必要のない「理想郷」にみんなもういるじゃないか、もしくはこれから「理想郷」を作るのだ、という甘やかな前提のもとに、木村青年が人生をフイにしてでも訴えようとしたことを鼻で笑おうとする。
木村氏は逮捕後も黙秘を続けているが、昨年には年齢を理由に参院選に立候補できなかったのは不当であると、国を相手に損害賠償を求めて提訴していた。また、本人のものとされるTwitterのアカウントは、政治家の世襲や旧・統一教会との癒着、供託金制度などについて不満を訴えるものだった。
山上徹也容疑者との「連鎖」
「母親が自分の制止の声も聞かず、カルト教団に莫大なお布施を行い、崩壊していく家庭の中で、「言論の自由」などあっただろうか。その絶望的心境は想像を絶する。あるいは一般に、マスメディアやソーシャルメディアで被害を訴えれば良かったのだろうか。決してその手立てがなかったわけではないにせよ、その効果は限定的だっただろう。」
筆者は、本紙昨年八月号で、安倍元首相を射殺した山上徹也氏について、このように同情的に書いた。四十歳を過ぎた山上氏が「(旧)統一教会を許さない」という政治的意志と、問題提起のためなら手段とその後の人生を顧みないという覚悟を強固に持っていたのに対し、黙秘を続ける木村氏を兇行に駆り立てたものがなんだったのか、今の段階では釈然としないが、戦後史に両事件に近い例がないではない。
昭和三十五年、社会党の浅沼稲次郎委員長を演説会の壇上で刺殺し、その翌月に自裁した山口二矢氏を知らない方は、この「レコンキスタ」の読者にはおられないだろう。愛国陣営は十七歳の彼を「烈士」として悼み、絶賛した。翌年、同じ団体に所属し、同じ十七歳であったK少年が、小説「風流夢譚」の掲載は不敬であるとして中央公論社の嶋中鵬二社長宅を訪れたが、社長は不在であり、その場に居合わせた女性二人をナイフで切りつけ、死傷せしめた。彼については評価をためらう者が多く、懲役刑の確定後、医療刑務所でノイローゼの治療を受けたというほか、消息を知るものはいない。
この「浅沼事件」「嶋中事件」はある種の「情念の連鎖」であったが、この山上・木村両氏の事件もまたなんらかの「連鎖」関係にあることは疑うべくもないだろう。しかし、そこに昭和の血盟団や神兵隊の蹶起にこめられていた「祈り」はあるだろうか。
テロルは、実行者の希みとは裏腹に、未遂で終わることも多い。心ならずも民間人を巻き添えにすることもある。後出しジャンケンで実行者の仕儀を否定することはたやすいが、「無菌の温室」から論評してはどうしても浅くなる。
非合理を包摂するものとは
「民主主義にテロはつきもの」と三島由紀夫烈士は断言した。来島恒喜烈士の爆弾で片脚を失った大隈重信は「勇気は蛮勇でもその勇気に感服する」と来島烈士を称え、その葬儀には側近に香典を持たせて参列させたという。
「テロ反対」と泣き言をいって次のテロを防ぐことはできないだろう。骨なしクラゲのような政治家が、悪意と暴力に満ちた国際政治を渡り歩くことなどできない。泣き言をいうよりも、政治家が襟を正し、「テロなどされる筋合いはない」と堂々と言える政治を行うことが何より大事なのではないか。
葦津珍彦先生が、浅沼事件の後、「テロ防止に有効なのは、啓蒙よりも、自由討議によって政治的信条を異にするもの同士が交流し政治的不信を解消し合うことだ」「人間の本性にある非合理への憧憬や冒険主義的性向を認めたうえで、それを馴致する術を学ばせることこそ必要」と論じていたことは、朝日新聞の石川智也氏も令和二年の「論座」の記事で紹介している通りだ。
葦津先生は嶋中事件の翌年、当の中央公論社が制作した「思想の科学」の天皇制特集号に「国民統合の象徴」を寄稿し、皇統護持の立場から堂々の論陣を張った。
日本土着の非合理な情念を、西欧に由来するカッコつきの「民主主義」がはたして「馴致」し切れるだろうか。日本には太古から、「まつろはぬ者」を「ことむけ、やはす」神ながらの道があり、それを体現する天皇が君臨しておられる。葦津先生が行った示唆は六十年経とうが、今なお色褪せるところがないのではないか。
画像出典:
首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202304/16kaiken.html)