原発再稼働も対米追従
岸田政権は昨年8月、原発再稼働の方針を決定。すでに再稼働している10基に加え、今年の夏までに7基の原発稼働をや目指すと発表している。
これに加えて原発の新増設、運転期間の延長も検討した。3・11以降における原発政策の大転換と言えるだろう。
原発の運転期間に関しては、3・11の福島第一原発事故を受け、平成25年に改正原発規制法が施行。原則40年、最長60年と定められたはずだが、岸田首相は「安全性の確保を大前提」として、運転期間の延長を打ち出した。当然、法改正を睨んでの検討だ。
岸田政権が大きく「原発再稼働」に舵を切ったのは、背景には資源エネルギーの安定供給、自然環境に配慮した脱炭素政策もあるだろう。だがもう一つ、米国政府の意向も動いているのも挙げたい。
米バイデン政権は原発重視派であり、3月2日にも米国内原子力発電所向けの12億ドルの資金支援を発表。これは最近閉鎖した原発も含まれている。
米国では原発は斜陽産業となっており、再生可能エネルギーや安価な天然ガスによる発電との競争で2013年以降、10基が閉鎖されている。
バイデン政権が時代遅れの原発を支援するのは、やはり民主党政権の重要な支持基盤となっているからだろう。だがそれは米国の事情。日本は関係ないはずだ。
昨年5月の訪米時、岸田首相はバイデン大統領と会談し、「原子力協力の強化」を盛り込んだ共同声明を出している。
声明によれば、原発は「CO2を排出しない電力および産業用の熱の重要かつ信頼性の高い供給源」であり、「革新的原子炉、小型モジュール炉(SMR)の開発、また原子力サプライチェーンの構築などに向け、両国間の協力を拡大していく」
と、日米で「原発推し」を強調する内容となった。
岸田氏に関しては、バイデン氏から関心を買いたいが為に、原発に関しても「忠犬ぶり」をアピールしたいのだろう。あまりにも情けない。
日本の核開発を封じ込めた「日米原子力協定」
既に日米間では、「日米原子力協定」(昭和63年発効)が存在している。昭和30年に発効した「日米原子力研究協定」が改定されたもので、正式名称は「原子力の平和的利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」、要は日本に核開発を防止し、民間利用だけに制限させる為の「くびき」である。
この協定では、米国は日本に研究用として濃縮ウラン235を6 kgを限度に賃貸する事、これを目的通りに使用する事、また使用済み核燃料の返還、使用記録を毎年報告する事が取り決められた。
この協定に基づいて、昭和32年に設立されたのが、茨城県東海村の日本原子力研究所の国内最初の原子炉JRR-1である。
日本の原発政策は、最初から米国主導で推し進められた。3・11における福島第一原発事故を契機に原発稼働は停止するが、対米従属を是とする岸田政権が再び「再稼働」の道を選んだ。
世界的に時代遅れの原発を推すのは、時代にも逆行していると言えよう。
被災地である福島では、最先端の研究、技術を集めた「福島イノベーションコースト構想」を推し進めている。
だがこのモデルになったのは米ワシントン州の「ハンフォード核施設」だ。
ハンフォード核施設ではかつて、マンハッタン計画により長崎に投下された原爆が開発された。度重なる核開発により、「米国でもっとも汚染された土地」とも呼ばれている。
核開発の産業、研究施設が集まった都市でもあるが、住民の意思を無視した「核開発ムラ」である。これを福島でも取り入れようと言うのだ。
原発を巡っては、再稼働を進めるか、「脱原発」を目指すべきか…と議論が分かれる。だが「日米原子力協定」体制のままでは日本の国益にはならないだろう。
米国主導の原発政策を見直し、日本独自の政策を採らない限りは、未来永劫米国の「くびき」から抜け出せない。原発に関しても「対米自立」を果たすべきだ。