三島由紀夫烈士の予言「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵で終わる」は的中か?
昨年末、ある言葉が世相を反映するキーワードとして注目を浴びた。
国民的長寿番組「徹子の部屋」にて、司会の女優・黒柳徹子氏が、ゲストのタモリ氏に「来年はどんな年になるでしょう?」と聞いたところ、「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えている。
「新しい戦前」。一見、矛盾する様で言い得て妙な言葉である。
昨年からの防衛費増額の議論に加え、敵基地攻撃能力を認めた「安保三文書」の改定。国会で議論される事なく、全て閣議決定。もはや憲法を改正する事すら必要なく、「戦時体制」に突き進んでいる様に見える。
タモリ氏の「新しい戦前」については、日本が「戦前の軍国主義国家に回帰するのではないか?」と、左派陣営からは受け止められただろう。
だが戦前の日本はまだ自主的な主権国家であった。外国軍が駐留し、あまつさえその軍隊に既得権益を認め、軍人・軍属が罪を犯しても逮捕できない現代日本とは違う。
戦前日本は米英を対立する道を選び、独伊の枢軸国と同盟を締結した。「バスに乗り遅れるな」のフレーズが有名だが、現代日本を例えるならば…率先してバスに乗り込んで、宗主国の為の露払いを引き受けている感がある。
昨年末、十二月三十日付の『毎日新聞』は、米インド太平洋軍の再編計画で、「横田基地にある在日米軍司令部に統合運用の指揮権を付与する」と報じている。
横田基地は在日米軍の司令部であると同時に、第五空軍の司令部を兼ねている。言わば在日米空軍の司令部に過ぎなかった。
在日米軍はその他、座間キャンプの在日米陸軍司令部、横須賀の第七艦隊(海軍)、沖縄うるま市の第三海兵遠征軍(海兵隊)で構成されているが、指揮権はハワイの米インド太平洋軍司令部が握っていた。
横田基地は東京に一番近い米軍基地であり、これまでは象徴的な意味での「在日米軍司令部」であった。
が…これからは実質的な意味での「在日米軍司令部」となる。
米軍の「一部隊」に組み込まれた自衛隊
今回の米軍再編案で特筆すべきは、自衛隊が在日米軍の「一部」となる事であろう。
自衛隊は令和九(二〇二七)年までに陸、海、空の部隊運用を一元的に行う統合司令部を常設する方針を決定。米軍の再編案はこれに合わせたもので、在日米軍司令部は自衛隊の総合司令部と連携を強化する意向である。
「連携を強化する」とあるが、実態は自衛隊を在日米軍司令部の指揮下に置く事である。
自衛隊にとっては、米軍抜きには「戦争」ができない事情がある。
田母神俊雄元空幕長によれば、自衛隊が運用している暗号、敵味方識別装置、情報交換装置は米軍のシステムであり、自衛隊は米軍に依存しなければ軍事行動が起こせない。
兵器に関しても自衛隊は米製兵器に頼っており、それが例え中古の二級品であろうとも、「政治的」な理由故に使用せざるを得ない。
兵器生産国は、例え同盟国であっても最新鋭の兵器を送る事はしない。これは米国だけでなく、ロシア、中国でも同じ事情である。「モンキーモデル」と呼ばれるこの欠陥品を使うしかないのが、「従属国」の悲しいサガと言えるだろう。
岸田政権が防衛費増額に踏み込む原因となったトマホークにしても、三十年前の湾岸戦争時代の代物だ。
自衛隊はこれまでの専守防衛から転換し、「楯に加えて矛を持つ様になった」と評価する向きもあるが、標的の情報に関しては米軍と情報を共有する必要がある。目標まで精密誘導するには、米国の衛星ネットワークに組み込まれなくてはならない。
政府が想定する「戦争」とは、北朝鮮や中国などの「敵国」が米国を攻撃し、日本は集団的安全保障を容認して戦争に参加、「日米共同作戦」の下、敵国の基地を「先制攻撃」する…のであるが、「米国が参戦しなければどうなのか。
北朝鮮でさえ、抑止力としての核兵器を配備し、米本土を攻撃できるICBMを保有している。中国やロシアも事情は同じだ。
米国を標的とした攻撃に対し、日本が戦争に参戦する事はあっても、その逆、日本が攻撃をされた時、米国が必ず参戦する保証はないのである。
「新しい戦前」ではなく、「新しい戦後」
そう考えれば「新たな戦前」とは、私から言えば「新たな戦後」と言える。ここで言う「戦争」とは大東亜戦争ではなく、湾岸戦争の事だ。
所謂「戦後」は昭和二十年八月十五日に始まり、湾岸戦争が終結する平成三(一九九一)年二月二十八日まで。
それ以降は「新しい戦後」 (もしくは「戦後体制Version2.0」とも言うべきか)。既に三十年前より、日本は「新しい戦後」が始まっていた。
湾岸戦争当時、国費百三十五億ドル(一兆七千五百億円)を米国に供出したものの、米国政府からは全く評価されず、逆に「boots on the ground」を要求される始末。
以来三十年、日本の歴代政権はいかに「ご主人様に気に入られるか」を尽くして突っ走って来た。
そして今日。岸田首相はこれまでにない「忠犬ポチ」として米国の意向に従い、売国的な従米軍事政策に手を着けてしまった。
先の訪米の際、バイデン米大統領に肩に手を置かれるシーンがまさに「象徴的」であった。
バイデン氏は岸田首相を「真の友」と評したそうだが、いくら欧米圏がスキンシップの国であろうとも、「人の肩に手を置く」行為は友人に対してやるものではない。格下の子分、まさに「愛玩犬」に対する行為である。
湾岸戦争以来の日本の歴代従米政権はまさに「忠犬」として形容される事があったが、ここまで「犬っぷり」を見せたのは岸田首相が初めてであろう。
かつては「忠犬ポチ」とは恥ずべき表現であったが、従米軍事体制が成立した今、臆面もなく「忠犬ポチ」を誇示する様になった。
言うまでもなく、現代日本はとても「主権国家」とは言えない。
三島由紀夫烈士は「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と予言したが…、まさに「からっぽ」になりつつある。
自衛隊は何を守る「軍隊」か?
もう一つの三島烈士の予言、市ヶ谷台蹶起の際に檄文に示した「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わる」も的中しつつある。
最後に、一つ紹介したいエピソードがある。
今年一月二日、防衛省・海上自衛隊のツイッターアカウントがアップしたツイートでは、自衛官が艦上に並び、旭日旗をバックに「今年も専心職務の遂行にあたります!」と意気込んでいる。
ここで登場した自衛官は全員、「正義」と書かれた黒いTシャツを着て、両手を組んで背中を見せている。
漫画やアニメに詳しい人ならば、これは「ワンピース」の作中に出てくる組織「海軍」のコスプレだと分かるだろう。
「ワンピース」を愛読している者が海上自衛隊にもいて、作品のコスプレをしようと言い出したのかもしれないが…作品を読み込んでいる読者にとっては、これは痛烈な「皮肉」である。
詳細に関しては作品を読んで欲しいが、「ワンピース」の海軍は主人公達海賊の仇敵である。
だが必ずしも「正義」の軍隊ではない。「ワンピース」では「天竜人(てんりゅうびと)」なる存在が世界を牛耳り支配している。海軍は人々を海賊から守る正義の軍隊ではなく、天竜人の体制を守る暴力装置でしかない。
天竜人がどうして世界を支配するに至ったか。その正当性は語られていない。鍵となるのは作品の要である「ひとつなぎの大秘宝」であるが、それを見つける事ができれば作品世界の体制は一変し、天竜人は簒奪者として暴かれる。
故に天竜人は海軍を使って、世界の秘密を暴こうとする者を「海賊」として処断し、徹底した弾圧を行うのである。
…と書けば、自衛隊が果たして誰の命令で動くのか。何を守るべきなのか。「天竜人」に当たるのは何か。明白だろう。海上自衛隊にとってこのチョイスはあり得ないものだと言える。
三島烈士はかつて「国体を守るのは軍隊政体を守るのは警察」と評した。だが「国体」もあやふやになっているのが現代だ。現代の国体とは、まさかホワイトハウスではないだろうが…。果たして自衛隊は「国軍」の資格があるのだろうか?