第264 回一水会フォーラム 講演録

市川 周 氏〈一橋総合研究所CEO〉

日本史を動かす三人のアメリカンヒーロー

 私は一橋大学を出て三井物産に入りましたが、四十五歳で早期退職しました。その後、様々なことをしてきましたが、最大の転機となったのは,学生時代に会ったことがある石原慎太郎さんと再会して、彼がソニーの盛田昭男会長と共著で出した『「NO」と言える日本』の続編を作ろうということになり、私の仲間と一緒に、石原さんと『宣戦布告「NO」と言える日本経済』を刊行したことです。

 もう一つ、日本版ダボス会議というものをやっています。まあ勝手に標榜しているわけで、唯一本家のダボスと似ているのは、アルプスの下で会議をやるところなのですが、これは長野県の白馬村で二〇〇八年からスタートして、今年で十八回目を迎えます。

 このようなことをやりながら人生をやってまいりました。

 さて、石原慎太郎さんも好きだった福澤諭吉に「一身独立して一国独立す(中略)独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」という言葉がありますが、これは、今日の日本人が改めて考えなければならない痛烈な問題提起だと思っております。その視点に立つとき、来年の米国の独立二百五十周年―あのトランプ大統領のことだから大イベントをやりまくるのでしょうが―に当たって我々日本人は素直に「おめでとう」と言えるのか。対米敗戦後、米軍の国内駐留を容認し続けて八十一年目に入るという現実の中で、我々は彼らの独立記念日をどのように捉えるのかという複雑な思いがあります。

 日本史を決定的に揺り動かした「アメリカンヒーロー」を挙げるなら、一にペリー提督、二にマッカーサー元帥、そしておそらくトランプ大統領が三人目でしょう。

 ペリーは一八五三年に来航し、日本に開国を迫ったわけですが、これが明治維新への導火線に火をつけました。我々は米国を羨望し、崇拝しながら、友好・協調しつつも、恐怖、警戒する中で、彼らと競おうということになってきました。

 そしてやがて太平洋で激突して、徹底的な敗北を喫し、米国の占領下に置かれました。その道をつけた意味でも、ペリーという男の影響は大きかった。

 ペリーから八十年近く経ってから登場したのがマッカーサー元帥です。一九四五年に厚木飛行場に飛来し、そこから私たちの対米従属が始まりました。そして我々の国は彼らの国によって徹底的に改造されました。

 敗戦後レジーム八十年は、まさに「失われた八十年」ということになります。米国という国家によって我々は何を奪われ、何を忘却させられてしまったのか。これを改めて戦後八十年の今、しつこくもう一度問い直さなければなりません。

 そして今、さらにとんでもない男が現れます。それがトランプ大統領です。今、関税の問題も含めて、相当にとんでもないことを日本に突きつけ、ペリーやマッカーサーにも負けないくらいの迫力のある「アメリカンヒーロー」感を醸し出しています。「アメリカ・ファースト」を標榜し、さらにアメリカ国家の原点とも言うべき「コモンセンス」という言葉をよみがえらせながら、何か大きなことを成し遂げようとしています。

 いずれにせよ、我々はこの米国との敗戦後八十年という、ある意味「腐れ縁」からどう脱却するかが肝心です。そうでなければ本当の意味での日米新時代は始まりません。

アメリカ・ファーストは「コモンセンスの革命」で実現する

 ここでトランプ大統領が我々日本人をも勇気付け、覚醒してくれるかもしれない、独立国家の原点としての「コモンセンス」という言葉について考えたいと思います。

 昨年十一月六日、フロリダ州でトランプ大統領は大統領選勝利演説を行なうわけですが、その中で二度も「コモンセンス」という言葉を叫びました。そして、このような言葉を投げかけます。

「全米の何百万人もの勤勉な米国民に感謝したい。あなた方は記録的な数で投票に向かい、勝利をもたらした。あなた方に恩返しをする。この日は永遠に、米国民が国の支配を取り戻した日として記憶されるだろう」

「この選挙運動は最も大きく、広範で、団結した同盟を築いた。あらゆる生い立ちの市民を常識の下に団結させた。(中略)我々は常識の党だ」

 ここまでしつこく「コモンセンス」という言葉を二度も使っています。さらに、今年一月二十日にワシントンDCで行なわれた大統領就任演説でも、次のようなことを言っています。

「これらの行動によって私たちはアメリカの完全な復興とコモンセンスの革命を始めます。すべてはコモンセンスの問題です」

 これだけ「コモンセンス」という言葉を使っているということは、馬鹿の一つ覚えではない。トランプなりの強い思いがあるということを感じてしまいます。

 アメリカ史をひもとくと、一七七五年に開戦したアメリカ対英独立戦争に火をつけたのがトマス・ペインの『コモンセンス』という著作でした。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の巨大なエンジンは、この「コモンセンス」信仰にあるのではないかと思います。

「コモンセンスの下に団結」「我々はコモンセンスの党」「コモンセンス革命の開始」

 というように、何度もしつこく「コモンセンス」という言葉を使っているわけです。

 「コモンセンス」を「常識」という無味乾燥な日本語に訳したのでは今一つ伝わりづらいのですが、個人にとっても国家にとっても「自明の理」であるというのが「コモンセンス」の真意なのです。その国家の持っている「自明の理」に従って国家は運営されており、アメリカ国民はそれを直視して行動するかが問われている。つまりトランプは大統領就任に伴う二大演説で、米国独立建国の精神を喚起したわけです。

 ここまで「コモンセンス」にこだわるのは、彼の中に「コモンセンス」に対する異様なまでの思いがあるのではないでしょうか。

 『コモンセンス』は対英独立戦争が勃発した翌年の一七七六年一月に著者トマス・ペインにより刊行され、当時大陸人口二五〇万人の内五〇万人が手に取ったと言われる米国史上最大の歴史的ベストセラーです。そして、同年七月四日のアメリカ独立宣言に向けて国論を導きました。米国の独立に非常に大きな意味を持った本だと言えます。

 ペインは「自衛力のない小さな島なら、(英国)政府が面倒を見るのにふさわしい。しかし大陸が永久に島によって統治されるというのは、いささかばかげている。自然は決して、衛星を惑星よりも大きくつくらなかった。何故、衛星のような英国の周りを惑星の如く巨大なアメリカがぐるぐる回っているのか? イギリスとアメリカとの相互関係は一般的な自然の秩序、即ちコモンセンスに反している。」と書いています。

 「アメリカの独立」という戦いの目的を明らかにすることで、「植民地人」として長らく洗脳されていた「アメリカ国民」の英国に対する戦意を鼓舞したのです。トランプも「コモンセンス」という言葉を使いながら、自分が描く「アメリカン・ファースト」に向けて、アメリカ国民を鼓舞しようとしているのではないかと思います。

『学問のすゝめ』は日本のコモンセンス

 私には、日本のトマス・ペインは福澤諭吉ではないかという大胆な思い込みがあります。そこで『学問のすゝめ』と『コモンセンス』の関係を私なりに考えてみたいと思います。

 福澤諭吉の『学問のすゝめ』は明治新政府樹立四年後の一八七二年に初編が出版され、米国で『コモンセンス』が世に出た百年後の一八七六年に第十七編が出版され完成を見ました。

 当時、日本は新国家の屋台骨はぐらついたまま、まさにペリー来航に象徴される世界帝国主義の大波に遭遇し、国の独立とそれを支える国民(福澤の言う「国人」)の独立心が風前の灯の如く致命的な課題でした。それに福澤は真正面から警告し、啓蒙を試み、『学問のすゝめ』を世に問うたわけです。同著初編の冒頭にある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」はあまりにも有名ですが、福澤がペリー来航後の余韻収まらぬ日本人に真に訴えたかったメッセージは続く第三編の「一身独立して一国独立す」であり、「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」でした。

 ここで『学問のすゝめ』第三編から抜粋します。

「まず一身の独立を謀り、従って一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立すとはこのことなり。国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なき時は一国独立の権義を伸ぶること能わず。(中略)独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。独立とは自分にて自分の身を支配し、他によりすがる心なきを言う。(中略)外国に対して我が国を守らんには自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中人、貴賤上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受けおのおのその国人たるの分を尽くさざるべからず。英人は英国をもって本国と思い、日本人は日本国をもって我が本国と思い、その本国の土地は他人の土地にあらず、我が国人の土地なれば、本国のために思うこと我が家を思うがごとし。」

 このように福澤は言っています。「我が国人の土地」に何故、八十年間も外国軍隊の基地が存在し続けるのか。福澤諭吉がもし生きていたら、腰を抜かすでしょう。トマス・ペインの言う「いささかばかげている」どころの話ではありません。

 もう一度整理しますと、一七七六年にトマス・ペインが『コモンセンス』を発刊し、アメリカは独立を果たしますが、それからちょうど百年後の一八七六年に福澤諭吉が『学問のすゝめ』を完成させます。

 そして来年の二〇二六年はどういう年なのか。アメリカ独立二百五十周年であり、『コモンセンス』発刊二百五十周年、そして『学問のすゝめ』発刊百五十周年です。その意味で、二〇二六年は非常に重要な年になる気がいたします。すなわち米軍が対日占領して駐留八十一年目に入ります。

 そういう中で歴史的な背景を鑑みますと、アメリカが建国独立二五〇周年を迎える来年は、私達日本人にとっても非常に重たいものがあります。

どうする、日米安保?

 ここで日米安保の問題を考えたいと思います。一九五一年に結んだ旧安保条約の序文には、このようなことが書かれていました。

「日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。」

 普通に考えたら、講和条約を結んで日本は独立国家になったのに、なぜお前たち米国はまだいるのかということですが、米国側は十分な言い訳を序文で書いているわけです。

 あんたたち日本は丸腰なんだから、俺たち米国が守らなければならないと。これが旧安保の序文です。従って第一条では、次のようなことが書かれています。

「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」

 これはいわゆる内乱条項というもので、米国軍隊が日本の内乱を治め、押さえつけるということを堂々と日米安保の第一条で書かれているということです。私たちはとんでもない条約を結ばされたと言うしかない、という気が私はします。

 これが十年後の一九六〇年に、岸信介内閣で新安保条約になりました。ここで争点となるのが第五条と第六条、第十条です。第五条では「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

 要するに日本が攻められた時に米国が助けてあげるということを言っている。このことが今のトランプが言い出しているように、「なぜアメリカだけが日本を守って、日本は何もしてくれない」という、米国からしたら不平等だという論理になってくるわけです。

 そしてさらに大事なのが第六条です。「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」とあります。

 つまり、なぜ日本の中に米軍基地があるのかということが明記されています。我々米国がお前たち日本を守ってあげているのだから、ここに我々米軍の軍事基地を置き続けろ、ということです。旧安保から十年を経て新安保になりますが、何もロジックは変わっていません。

 それに対して岸信介の反撃がありました。先ほど申し上げました内乱条項を消しました。只、五条、六条については何も手を出せませんでしたが、もう一つ岸がやったのは、次に申し上げる第十条の安保破棄条項です。

「この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約はそのような通告が行なわれた後一年で終了する。」 

 私は岸信介が、よくぞこの条項をねじ込んだものだと思います。岸の計算は、十年も経てば対中、対ソ冷戦も含めて、日米間を巡る様々な国際関係も変わってくるだろうと。十年経って見直しをする意味があるという判断だったと思います。

 十年経って日本がやめたと言ったら、そこで米国も認めざるを得ない。これは凄いことです。ここが日米安保の秘密です。日米安保は十年経ったらどうなるか分からないように、岸信介は変えてくれていたということです。只、依然と残っているのは第五条と第六条の流れです。

 つまり守ってあげているんだから基地を置けという流れは変えられないまま新安保がスタートしたわけですが、第十条で最終的に文句があるならやめてもいいよという破棄条項を入れたというのが、実は新安保の最大の財産です。

新安保条文を検討する

 その後、十年たった一九七〇年にどうなったのか。誰も何もやらない。議論もしない。新安保は不変のまま六四年の時を経てしまった。ここで新安保条約に向けた条文を検討したいと思います。まずは第五条ですが、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃に対して、共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

 米国が武力攻撃されても日本は危険対処しない同盟を続けるのか。そろそろそれをはっきりさせる時期に来ているのではないか。

 第六条では、「(前略)アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」とありますが、新安保の再交渉が始まった場合、米国の日本国内における軍事的施設及び区域の使用を日本が拒否すれば、日本への武力攻撃に米国は対処しないということになるのか。

 こういう具体的な交渉に入るのが、日米安保に関する日本の政治家の責任です。

 そして、これは一つの選択になりますが、日本の軍事的危機対処は日本に対する攻撃のみとし、米国には危機対処を求めない。従って、米国の日本領土内における軍事的施設及び区域の使用は拒否する。これは私の結論ですが、日本は自主自力防衛をし、米軍駐留を終了させるということです。

 これを決断する政治家がいるかどうか。具体的に国会の問題として考えなければなりません。第十条の破棄条項では、「もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約はそのような通告が行なわれた後一年で終了する。」

 これをするためには、国内で決めればいいわけです。そこで、日本国憲法における条約締結に関する規定を見てみます。

 第五十六条では、「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」とあります。

 さらに第六十条では、次のように記されています。「予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」

 そして第六十一条には、次のようなことが記されています。「条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。」

 つまり、最終的に与党議員が過半数を持てば、条約の改定ができるということが明確に示されています。

 憲法の改正と比較してみましょう。憲法改正の場合、まずは国民に提案する前に、国会で三分の二の賛成が必要です。そのあとで国民投票の半分の賛成が必要である。それは相当に難しいことです。ところが、日米安保は過半数の議会の議決で国民投票なしに一気に進められてしまう。これが現実です。それを直視して、今後の日米安保をどうするかという問題をリアルに考えていくかが必要なのです。

 このように、遠くて近い案件が日米安保問題です。

さよなら、アメリカ!

 「ウクライナ後」の世界の動きの中で、日本人がふと、日米安保をやめられるのではないか、もっと正常なものに変えられるのではないかと、自然に考えられるような世界情勢になってきています。

 三月五日、マクロン大統領はテレビ演説を行い、フランスの核戦力による「核の傘」を欧州全体に広げるための協議を欧州諸国と始めることを表明しました。米国のトランプ大統領がロシア寄りの姿勢を強めたのを受け、ロシアの脅威への対処として、欧州独自の核抑止力構築を目指すということです。

 今回の構想は、ドイツの次期首相候補で中道右派・キリスト教民主同盟(CDU)のフリードリヒ・メルツ党首から議論の呼びかけがあったことによるものだということもを明らかにしました。マクロン氏はこれまでにも、自国の核兵器による欧州の抑止力構築を主張していますが、伝統的に米国との協調を重視するドイツが距離を置くなど、欧州諸国の間で温度差があり、具体的な動きに結びついていませんでした。

 さらに翌日の三月六日、欧州連合(EU)は「再軍備計画」推進で大筋合意しました。フォンデアライエン欧州委員長は首脳会議後の記者会見で、資金供給枠組みや財政ルール緩和などを通じ、防衛強化のために総額八〇〇〇億ユーロ(約一二八兆円)の資金確保を目指すとしました。

 欧州各国は、米国がウクライナへの軍事支援を停止するなど欧州離れを加速させている点に危機感を募らせており、防衛費積み増しをテコに、米国依存からの脱却を図ろうとしています。再軍備計画は加盟国二十七カ国全てで一致しています。

 あるいは、さらにその翌日の三月七日、英紙デイリー・テレグラフ(電子版)は、トランプ米大統領がドイツ駐留米軍の撤退を検討していると報じました。代わりに親ロシア姿勢が目立つ東欧のハンガリーに再配置する計画だということです。

 つまり、ロシアのウクライナ侵略を巡り、トランプ氏はウクライナを支援する欧州主要国に対して「戦争を推し進めている」としていら立ちを募らせている。このため、約三五〇〇〇人の在独米軍をドイツから撤退させたい意向だということでしょう。

 国外に駐留する米軍は全世界で約一六万人に上り、ドイツの駐留数は日本(約五五〇〇〇人)に次いで二番目に多くなっています。一方、ハンガリーのオルバン首相は親ロ派で、ウクライナ支援に否定的な姿勢を維持し、トランプ氏とも個人的に親しい関係にあるとされています。

 このような動きが出る状況ですから、日本でもこれから何が起きるか分かりません。

 また、米国CNNは三月十九日(現地時間)、米国防総省が作成した計画案を入手し、同計画案は米軍の戦闘司令部の統合に加え、在日米軍強化の中止などが含まれていると報じました。具体的には、米軍欧州司令部とアフリカ司令部をドイツ・シュトゥットガルトに統合する。

 アメリカ本土についても、カナダとメキシコを担当する北部司令部と中南米を担当する南部司令部を一つにまとめる。これにより、今後五年間で三億三〇〇〇ドル(約四九〇億円)の予算を節減できるということです。

 さらに米国防総省の予算削減案として議論されているのが在日米軍強化計画の中止で、一一億八〇〇〇万ドル(約一八〇〇億円)の経費を節約できると試算されています。

 要するに、「米国は日本を守る」という日米安保の軸の部分について、米国側が見直しをする可能性が出てきているということです。

 このような世界の大きな流れの中で、「アメリカよ、さよなら」と大胆に言ってみせる発想が、今後、問われてきます。その場合、一番大事なのは福澤諭吉の「一身独立して一国独立す」の根性を持っているかどうかということです。

 本来の独立国家としての気概の下に、様々な状況を判断し、具体的な問題提起をしていけるような国民になっていかなければならない。我々が八十年もの間、何も変えないできてしまったことの問題が、今、問われているということです。(了)

【講師プロフィール】

市川 周(いちかわ・しゅう)
1975年一橋大学卒。三井物産を45歳で退職。1998年石原慎太郎氏との共著『宣戦布告「NO」と言える日本経済』出版を機に一橋総合研究所創設に参画。2008年には「西のダボス、東の白馬」を標榜し、北アルプスの麓で白馬会議を発足、今秋18回目を迎える。今回の講演では福沢諭吉の「一身独立して一国独立す…独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」の原点に立ち、来年、独立250周年を祝うアメリカに対して、敗戦以来米軍駐留を受けいれて81年目に入るこの国のあり方と、その進むべき道を「ウクライナ後」の国際秩序大変動の中で問う。